0279_まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう

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家の大掃除

今日は家の大掃除をしました。ミニマリストを謳っていたのに、これだけ物があるのかよと呆れるくらい不要なものが多くありました。そして、不要だと思えるようなコードや充電器やモバイルバッテリーなど、緊急事態には必要になるかもと考えると、なかなか捨てられないのです。ゴミ袋2つ分だけ捨てて、その他捨てられないものは、来年の大掃除の時に、意思決定をしようと先延ばしにしました。

昔は新年に新しい服や靴を買ってもらっていたようです。特に戦後の貧しい時代から高度経済成長期を生きてきた方たちとって、物質的な豊かさは当たり前ではなく、よほど裕福な家庭でない限り、日常的に服を買うのは難しかったのだと思います。新しい一年に、新しい服に袖を通すことはこれ以上もない喜びで、気持ちも新しくなったことだと思います。

外側より内側

新しい気持ちで新年を迎えるにあたり、多くのは人は初詣に行ったり、様々な行事に参加して気持ちを新たにします。伝統行事や様々なイベントも非常に大切だと思いますが、それよりも、心の状態に意識を向けてが、心が新しくなることのほうがもっと重要だと思います。まずは外より内です。内は状態であり、外は状況です。内側の状態が良ければ良いものが生み出され続けますが、悪ければ、悪いものばかりがでてきます。

内側の状態が良ければ、状況によってもたらされる負の感情に束縛されるリスクも低減できますし、ゴシップや根拠のない情報に振り回されることもなく、静かな心を保つことができます。もし、外側の状況に集中するのであれば、外側は自分の影響の範囲外なので、様々な影響を受け続けるでしょう。外側には、社会情勢から未来の予測、さらには、人の言葉、ニュースのゴシップなど、心の状態に波を起こすような情報が溢れかえっています。もし、心の状態が悪ければまたたく間に大嵐の状態になり、正しい判断などができなくなるでしょう。

内側は思っているより汚い

イエス・キリストは当時の宗教的指導者たちに対してこのように言っています。

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
23:27-28

恐ろしいことは、僕自身も外側は美しく装うことができることです。「僕には何の問題もありません。僕には悔い改めることなどないのです。」と言うのです。しかし、内側はあらゆる不潔なものでいっぱいなのです。内側は偽善と不法でいっぱいなのです。イエス様は、僕にこのように言っています。「盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。」

年末、内側に意識を集中して、祈り、イエス・キリストの血潮により、内側を清めていただきたいと思います。