0012_「バ美肉」おじさんならぬ、「ヘ主共」おじさん

日本人の言語化能力には感服されられます。「バ美肉」とは、ーチャルな空間で、少女の姿をとって、受したおじさんのことらしいです。広義の意味では、おじさんじゃない場合もあるらしいのですが、基本的には、ヴォイスチェンジャーを使って、声まで美少女にしたおじさんです。

3Dや2Dもあり、VRで全身受肉する者もあれば、顔のトラッキングだけで、主に上半身だけを受肉するものなど、様々です。そして、中身に宿っているおじさんを「魂」とよび、実際にモデリングされた美少女を作った人は「母」と呼ばれるそうです。

先日のNHKの番組「ねほりんぱほりん」の特集で3名の「魂」(おじさん)が出演していました。「かわいい」って言われるのが嬉しいなど、自分の大好きな美少女に受肉できる喜びを語っていました。

その中の一名がこのような非常に興味深いことを語っていました。「肉体の皮を脱ぎ捨てて、魂が美少女に入り、魂が直接かわいがられている感じがする。」この願望は人間の普遍的なものでないかと思います。

肉体は一時的なものですが、魂は永遠を思います。

神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
伝道の書3:11(口語訳)

肉体は目に見えますが、魂は目には見えません。

わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
コリントⅡ4:8(口語訳)

バ美肉おじさんが言っている違和感のとおり、肉体はあくまでも一時的な宿り場所にすぎません。パウロはその葛藤をこのように語っています。

むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。
コリントⅡ5:8-9(口語訳)

バーチャル空間ではなくて、美少女の姿に受肉するのではなくて、広義の意味での天国(ヘブン)で主と共に住むこと、つまり、「ヘ主共」を望みつつ。