祈りの習慣
今年の自分が身に着けたい習慣に新しいものを追加しました。それは「少なくても1日に1時間祈る」というものです。教会などでは祈ることの大切さは語られますが、じゃあ実際に何分祈るのか?どのように祈るのか?といった具体的なことまでは語られないことがほとんどだと思いす。
それは祈りとは非常に個人的、かつ霊的な領域のことなので、「こうするべき」という風に提示するのが難しいからだと思っています。ではなぜ僕はわざわざ1時間という時間にしたのでしょうか。それにはいくつかの理由があります。
祈ることによって体験したこと
一つ目は実体験として直近で1日に1時間祈った週があったのですが、その週の魂の状態が非常に良かったからです。誇張でもなんでもなくて、本当にイエス様さえいれば他の何もいらないと思えたからです。僕はこの関係を持ち続けたいと強く願うようになりました。
二つ目は祈ることで他のことをする時間がなくなるということです。それは二つの側面があります。一つは単純に1時間祈れば1時間他のことができなくなるということです。これはポジティブな側面であり、スマホを触ったりテレビをつける時間が1時間なくなったことを意味しています。
二つは祈ることによって霊性が研ぎ澄まされて、そもそもそういった娯楽に興味が湧かなくなるのでそもそもそれをしていた時間がなくなるということです。
このままではだめだ
三つ目は自分はこのままだとだめだという強い危機感を抱いていたからです。わかっちゃいるけどやめられない自分の弱さとこの先ずっと付き合って生きていいくのが嫌になったからです。
それは言い換えると、バアルに仕えるのか?主に仕えるのか?の二択の選択のことです。あるいは、自分を捨て自分の十字架を負って生きていくことです。
本当に大切なこととは?
このままではだめだとは思いながらもずっとなぁなぁで、まぁなんとかやっていけているし、とか言いながら生きていました。しかし、本当に大切なことは何かを考えた時に、自分のやりたいことではなく主がやりたいことにコミットしたいとさらに強く願うようになりました。
そのためには祈りが欠かせません。今年こそは本当に大切なことに注力して生きていけるように願っています。