0361_あの時の感動はいずこへ!?瞬間風速的に盛り上がる信仰

信仰生活の好調不調

以前は、クリスチャン生活というものは調子がいい時もあれば悪い時もあると思い込んでいました。特に若い頃は熱しやすく冷めやすい性格だったので、何かの大きなキリスト教の大会やキャンプあった時、あるいは著名な外国人宣教師が教会に来ると、魂が熱く燃やされる思いになったものです。しかし、自分でも情けなくつらかったのが、そういった魂が燃やされる体験は瞬間風速的なものであって、瞬く間に日常生活の引力に引かれていき、間もなく冷めてしまうということでした。

もちろん、すべての体験が冷めて無駄になったとは思っていません。その時に必要な御言が与えられて道が開けたり、弱っていたところに力が与えられたり、様々な思い煩いからの解放などを体験しました。パラダイム転換といえるような体験もあったように思います。しかし、キリスト教はイエス・キリストとの個人的な愛の関係と言われており、その関係が日常の引力によって疎遠になってしまうことがとてもつらかったのです。

安定したクリスチャン生活を送るためにしていること

意志薄弱なので、試行錯誤しながら、色々なことを試してきました。

毎朝聖書を読む

高校生の頃は1年通して新約聖書と旧約聖書を読み切る方法していました。年間通読は一番バランスが取れていて非常にいい方法だと思います。ただ欠点があって、例えば、ある個所を読んだ場合、次回その個所を読むのは原則1年後になってしまいます。覚えるには反復が必要なので、御言を覚えるには通読以外の方法を取り込まなければなりません。例えば、別途、覚えたい御言をノートに書いて通読とは別に反復できるようにする必要があります。

今はテーマを決めて特定の書簡を集中的に読んで、線を引いて繰り返し見て覚える方法を採用しています。例えば、詩篇と決めたら、詩篇150篇を読みながら、覚えたい箇所に線を引いて、複数回詩篇を読み込みます。短期間に特定の御言を何十回も体に入れ込むことができるので、御言を覚えるには最適の方法だと思っています。さらにスマホのレコーダーに聖書の音読を録音して移動の際に聞くようにすれば、手元に聖書がなくても覚えたい御言にアクセスできるようにもなります。

祈りに自分の行動規範を盛り込む

自分のミッションステートメントや行動規範を祈りの中で声に出して宣言するようにしています。例えば一部を公開するとこのようなテキストになります。ミッションステートメントは随時変更されているので、改良を加えながら祈りの中で使っています。

あなたがわたしを見ているように、私もあなたの目ですべての人を見ることができるように。
相手の弱みではなくて強みを見ることができるように。
協力により双方の弱みを無力化して、連携の力を発揮できるように。
~続く~

とりなしの祈りをする

とりなしの祈りとは誰かのために祈ることです。正直、これが一番効果があります。どんだけだるくても、とりなしの祈りをすると引き上げられて魂が恵まれます。周りにいる人のために名前を挙げて具体的に祈ります。対象は家族、友人、知人、職場の同僚や上司、教会の人などで、課題は各種個別の問題、病の癒し、社会の問題などです。

僕は自己中なので、つい、自分のことばかり考えて、自分が恵まれることばかりを考えてしまう利己的な人間です。ですが、誰かのために祈ると、イエス様が喜んでくださっていると感じることができたり、イエス様とリンクしているように感じたりすることができます。

実践あるのみ

とはいっても、調子が悪い時は必ずあります。しんどい時、だるい時、腹が立つ時、不安な時、それは避けられません。しかし、仮に調子が悪くなったとしても、すぐに聖書と祈りによって、神様により頼める仕組みがあるとすぐに上昇することができます。それは、永遠に変わらない言である神がいつも共にあるからだと思います。

おっさん
■クリスチャン生活は一時は魂が燃えていても、日常の引力に引かれると瞬く間に冷めてしまう
■ただ、聖書の言と祈りによって生活すると、かなり安定したクリスチャン生活を送れる
■その中でもとりなしの祈りは最も効果的で、魂が引き上げられると思っている(主観)
■もちろん、不調な時もあるが、聖書と祈りが習慣化されていれば、落ちてもすぐに上昇できる

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