1047_神様に語られたことを実行しなかった結果

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意識的有能の段階が難しい

昨日は、聖書の言葉を実行できるようにするための具体的な方法論として、下記のような過程を経ると書きました。

  1. 無意識的無能:聖書を読んでおらず、できていないことがわかっていない状態
  2. 意識的無能:聖書の言葉は知っているが、できていない状態
  3. 意識的有能:聖書の言葉を知っていて、意識して何とか出来ている状態
  4. 無意識的有能:聖書の言葉が血肉化して、意識しなくても神の御心ができている状態

この中で、もっとも苦戦するのが3番目の意識的有能だと思います。なんとか神様の言葉を実行しようとするが、自分の弱さだったり、肉欲だったり、自己中心性が大きくなってきて失敗したりします。

気の緩み

僕自身、今は神を第一とする生活を実践しようとしていて、自分に具体的な行動として1日に1時間祈るということにチャレンジしています。1時間祈ると決めた理由については、こちらに記載されているのですが、思うようにいかないこともあります。

たとえ、1時間祈っていたとしても「気が緩む」と心が神様から離れてしまうということを経験しました。この場合、もしかしたら祈る前から心が離れていて惰性で1時間祈っているということも考えられます。

語られたこと

昨日は祈っている中で「やりなさい」と言われたことを実行しなかったことが原因になっている気がします。それは、嫁さんと一緒に祈りなさいということでした。結婚当初は一緒にデボーションをして一緒に祈る時間をとっていたのですが、こどもが生まれると食事もバラバラで朝も時間に余裕がなくて、ほとんど二人で祈る時間が無くなっていたのです。

そこで神様はもう一度二人で祈るように語られました。昨日はお風呂から出て一緒に祈ろうと言おうと思いましたが、嫁さんは持ち帰りの仕事をしていたので終わったら声をかけようと思っていました。

やらなかった

しかし、僕は待っている間に録画したプロレスを観始めてしまって、完全に声をかけるタイミングを逸してしまいました。僕は心の中でまぁ明日でもいいかと思ってしまっていたのです。そして嫁さんは寝に行ってしまって、僕は祈りの中で語られたことを実行することができませんでした。

たとえ祈ったとしても語られたことをしなければ1時間という時間が無駄になるということを痛感した日でした。今日は勇気を振り絞って祈ろうと言おうと思います。

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