祈りの体験
御霊に満たされて祈ると、こんな僕みたいなぺーぺーのクリスチャンでも主のご臨在を感じることがあります。神は霊であるから、それは非常に霊的なものです。そのご臨在の素晴らしさを一言で表すなら主の御心の美しさだと思います。主の御心は本当に美しいものです。そして、罪が赦された者はその御心を知る恵みに与ることができるのです。
僕の元来の性質は、自己中心的であり、自分さえ良ければいいというものです。しかし、主の御心は全く正反対です。その御心を知り、そしてその御心に満たされるということ自体が御国の体験でもあると思うのです。なぜなら、罪人の心にそのような思いを体験させてくださること自体が神の救いであり、恵みだからです。
御国の体験
天国はどこにあるのか?という問いに対して、イエス様は「天国はただあなた方のただ中にある」とおっしゃいました。インマヌエルの神、わたしたちと共におられるイエス様のご臨在こそが御国の喜びなのです。それは本当に天国が存在するんだという確信にも繋がります。
僕はぺーぺーのクリスチャンなので、神様の深いご臨在の中には入れていません。神様の麗しさの空気感や香りであったり、霊的五感の一部でしかまだ感じ取ることしかできていません。しかし、祈り求めていけば必ず深いご臨在に入らせていただけると信じています。
リバイバルの幻
主のご臨在の中に入ると、たしかにイエス様が僕が住んでいるこの地域を愛しておられ、そして、そこで大いなることをしてくださるということがわかります。だから、僕は必ずこの地にリバイバルがくることを信じています。それは主が教えてくださったことであり、そのリバイバルの雰囲気や香りを祈りの中で体験させてくださったからです。
もし、人がこのような素晴らしい神様に出会うなら、必ず救われるでしょう。そして、これほど聖なるお方に出会うなら悔い改めに導かれるでしょう。
解像度を上げるために
といっても、時には日常の引力引かれて、主が与えてくださった幻、ビジョンがぼやけてしまうことがあります。だから祈りの中で主が与えてくださったビジョンの解像度をぐっと上げ続けて頂きたいとおもっています。
昔は画像も低画質のものが当たり前で、拡大するとピクセルむき出しで画像全体が何を表しているのかわからなようなこともありました。今の僕のビジョンはそのようなものだと思うのです。だから、祈って祈り抜いて、8K並の画質にまでビジョンを見させて頂きたいと思っています。