0422_あらゆる分野において、1人の良い師をもつこと

自己流・我流

ここ数ヶ月で何でも自己流や我流は良くないと痛感しています。仕事の進め方や判断に関しては、営業と経営経験豊富な上司のほうが優れています。また、実際的な業務におけるデザインやコードに関しても、その道に人にきちんと教えてもらったほうが効率がだいぶ良くなります。

私生活では、我流ランニングからの怪我で痛い目にあいました。整骨院で適切な措置をしてもらい、リハビリやストレッチをしてシューズを変更すると意識もしていないのに、タイムが著しく向上しました。以前は何をどう頑張っても5分/Kmをきれなかったので、坂道ダッシュや短距離をしようと思っていたのですが、それをせずともタイムを出すことができました。

一方的に師をもつこと

我流や自己流から脱却するにはまず、「この人!」という人を見つける必要があります。考え方が自分に合っていて、信頼できて、親近感のわく人からなら貪欲に学びを得ることができると思います。そして、できれば、この人は1人であるのがいいと思っています。なぜなら、どんな分野においても、全く正反対のことを言う人がいるからです。どっちが正しいかは別にして、色々な人から色々な情報を得すぎると重心が高くなってしまい、芯が定まらず、結局深く掘っていくことが難しくなるからです。

「この人」という人が決まったら、その人が書いた書籍やYoutubeなどの動画サイトなどから知識を貪欲に吸収して実践していきます。それだけで、かなりの我流は矯正されると思います。個人的には原理原則の人、プログラミングの人、3Dモデリングの人、ランニングの人、筋トレの人、中国語の人、祈りの人など、「この人」が1名ずついます。相手は僕のことを知らないかもしれませんが、僕は師として仰いでいます。

信仰生活における師

学習効率や成長速度から考えると、自己流、我流が良くないのは確実だと思います。聖書のことに関しても、我流や自己流はよくないと考えています。そうしないと、感覚的、かつ主観的に聖書を読んでしまって、偏った読み方や解釈をする危険性があるからです。

「いや、わたしの師はイエス・キリストだから誰にも教えてもらう必要はない」という方もいらっしゃるかもしれませんが、神様は教会をお立てになったので、教会という存在を通して、主は栄光を現してくださるものだと思います。

教会のかしらはキリストで神様のものでありますが、一方で人間の集まりという弱い一面もあり、完璧な教会は存在しません。転勤や就職やその他様々な事情で教会を変えないと行けない人もいるかもしれませんが、基本的には「この教会!」、あるいは「この先生!」と言える人を見つける必要があると思います。

そうしないと、根本的なところは同じであっても、教会や先生によっても、運営方法や重視する教義や考え方が割と大きく変わるので、重心を低く、芯を定めて、安定した信仰生活には「ここ!」という確信がかかせないと思います。

しもべマインド

あとは、他責マインドでは一生かかっても理想の教会は見つからないでしょう。自責マインドとは言わなくても、しもべマインドさえあれば、必ず祝福された教会生活を送ることができると思います。

おっさん
■あらゆる分野において、我流や自己流は良い側面のほうが圧倒的に少ない

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