賛美づくり
今年になってから大好きだった音楽制作が全くできていません。今年は現時点でまだ一曲だけしかオリジナル曲が作れていなくて、それも別に自分が作りたいジャンルでもないので、そろそろ、また自分が表現したい音楽を作りたいな〜と思っています。ちなみにこれが今年唯一作った1曲です。
僕にとって賛美を作るのは、よくゆえばイエス様へのラブレター、悪くゆえば、ただの自己満足です。伝道に用いられるようにとか、日本宣教のためにとか、それこそ賛美Youtuberを目指したいとかというのは一切ありません。ただ、祈っていたり、聖書を読んでいたり、街を歩いていたり、銭湯に入っている時に、イエス様のめぐみを感じてその世界観を表現したくなるのです。
僕というフィルター
そのめぐみの世界観は僕というフィルターを通して表現されるものなので、僕の色がついています。また僕の主観でもあります。僕が感じているめぐみの一部でもあります。だからこそ、よく思うのは、いろいろな人のフィルターを通して表されるイエス様のめぐみをもっと見てみたいと思います。それは文章、デザイン、写真、音楽、動画、プログラムなどのアート的なものだけでなく、活動も含まれるかもしれません。
僕がまだ知らないようないろいろなフィルターがあるのだと思います。
ひとりひとりのフィルター
神様は人間一人ひとりを量産品として生産されたわけではありません。また、ほうっておいても人間の生殖活動によって人類が増え広がるように楽をしようとされたわけでもありません。
神様は人間が生まれる前からその人を既に知っていてくださっていて、既に愛してくださっていました。さらに、生を受けてからも、同じ変わらない愛で愛してくださっています。そしてそれは、約束されている天国へ続く永遠の愛です。その知識は人間の知識では理解できません。ダビデは詩篇でこのように言っています。
主よ、あなたはわたしを探り、
わたしを知りつくされました。
あなたはわがすわるをも、立つをも知り、
遠くからわが思いをわきまえられます。
あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、
わがもろもろの道をことごとく知っておられます。
わたしの舌に一言もないのに、
主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
あなたは後から、前からわたしを囲み、
わたしの上にみ手をおかれます。
このような知識はあまりに不思議で、
わたしには思いも及びません。
これは高くて達することはできません。
詩篇139:1-6
神様の目に尊く価値のある人間から神様のめぐみが表現されるなら、きっとすばらしいと思います!
わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。
エペソ2:10