祈りの時間
あなたが最もイエス様と親密な関係であったのはいつでしょうか?今でしょうか?それとも過去のあの時でしょうか?救われた当時だけでしょうか?イエス様と親密な関係であった時は、もれなくよく祈っていた時だと思います。
乾いた地割れした大地に水が必要なように主に飢え乾いて祈るのです。そして、自分がいかに愛されているかを体験し、そこに想像もしないような平安、そして天国が実際に存在するということを確信させるほどの喜びが心に訪れるのです。
自分のために祈っていた
僕自身、最もイエス様と親密な関係であった時は、最もイエス様を求めたときです。それはわらにもすがるような思いであり、徹底的な自己否定であり、涙ながらに本気で向き合うようなときでした。
主を真剣に求め始めた17歳の頃は、本当に何も持っていませんでした。将来の希望も、資質も、能力も皆無でした。無であるような自分自身が頼りにならないということは自分自身が一番わかっていました。自分のことを愛してくれて、助けてくれる存在がどうしても必要だったのです。
自分のために祈らなくなった
しかし、時は経ち、僕は見えるところにおいては自分で色々できるようになりました。僕はある程度、いやかなりの程度まで当時ほど祈らなくてもやっていけると思うようになりました。もちろん、それは主が与えてくださったものであり、主ができるようにしてくださったことです。
僕は主が与えてくださったものを享受してのほほんと生きようとしていたのだと思います。しかし、外に出て周りを見渡せば、主を必要としている人が実際に大勢います。彼ら彼女ら自身は、主が必要だとは思っていません。それは、主がどのようなお方かを知らないからです。それは僕が主ご自身をその人達に語っていないからです。
周りの人のために祈る
最近、友人が統合失調症になり、以前の彼と全く変わってしまいました。現実にはありえないこと妄想して確信したり、幻覚を見たりして、不眠の状態に陥っているのです。苦しんでいる彼の姿を目の当たりにして、僕は心がすごく苦しくなりました。
もちろん、専門家による医療による治療が必要だと思いますが、僕は祈らないといけないと思いました。僕は見て見ぬ振りのことなかれ主義ではいけないと本当に悔い改めさせられました。この御言が彼の身に起こるように祈ろうと思います。かつて、自分自身が自分のために必死に求めたように、次は周りの救いの人のために。
暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、
死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった。
マタイ4:16
■イエス様が望んでおられるのは同じ温度で周りの人のために祈ることだろう