その瞬間だけ
最近教えられていることは「その瞬間だけ信仰心が熱くなっても意味がない」ということです。具体的に書きます。
たとえば、何か問題が起こった時には神様を求めますが、問題が解決したら神様を必要としないまでも、それほど求めなくなる状況です。あるいは、何か特別な集会に参加して魂が燃やされはするが、翌日の平日仕事が終わる時にはすっかり冷めてしまっているというような状況も考えられます。
巡航速度まで上げ続ける
実はこれは全くもって僕自身のことを書いています。心が熱くなってそれが続かないということが多々ありました。実はその問題意識があってこのブログを書き続けている事情があります。それはこのブログのサブタイトルにも記載されています。
「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。クリスチャンブログ。」
ようは上がったり下がったりせずに安定した信仰生活を送ることを目的としています。
問題があると
聖書にもそのことが書かれています。晴れて救われた(出エジプトした)イスラエルの民は主の大いなる御わざを体験しました。彼らの信仰心は何か奇跡を見た時や特別な体験をした時に高まったのです。しかし、彼らは何か問題があるとすぐにその信仰心が薄れ不信仰になってしまったのです。
そして、神様はそのようなイスラエルの信仰の浮き沈みを知ってこのようにおっしゃいました。
あなたがたがわたしに語っている時、主はあなたがたの言葉を聞いて、わたしに言われた、『わたしはこの民がおまえに語っている言葉を聞いた。彼らの言ったことはみな良い。ただ願わしいことは、彼らがつねにこのような心をもってわたしを恐れ、わたしのすべての命令を守って、彼らもその子孫も永久にさいわいを得るにいたることである。
申命記5:28-29
つねにこのような心をもって
神様は信仰心が高まっている時に語った民の言葉に対して「彼らの言ったことはみな良い」と喜んでおられます。しかし、さらに主が求めておられるのは次に続く御言です。
「ただ願わしいことは、彼らがつねにこのような心をもってわたしを恐れ、わたしのすべての命令を守って、彼らもその子孫も永久にさいわいを得るにいたることである。」
僕自身は葦のように揺れ動く者で日常の引力にすぐに負けてしまう者です。しかし、主が願っておられるように変わることなく常に主を畏れる者であるように主により頼んで生きていきたいと強く願っています。