容易なことではないこと
僕はこのブログでえらそうに「肉を疲れさせて霊を恵まれさせる」や「肉を無力化して霊を活性化させる」など何度も書いたことがあります。しかし、今の僕にとって、実生活でこれを行うのはマインドとして容易なことではないと感じています。
なぜなら、身体性を持っている以上、肉が激しく抵抗してくることがあるからです。「しんどいな~」とか「眠いな~」とか身体的な疲れからくるものがあります。こちらは決して罪ではなく、中立的なものなのでよくも悪くもありません。
やっかいなのは、「あの人口ばっかりや」など不平不満などが心から沸き起こり、心が汚れてしまうことです。これは自分というものが残っているので沸き起こってくるのだと思います。これは自覚した瞬間に悔い改めないと恵みからもれてしまいます。
主の恵み
こうは書いても、あくまでもマインドとして容易なことではないだけであって、主により頼めば必ずできると信じています。なぜなら、実体験として霊が恵まれることを知っているからです。
たとえば、土日の予定が終日、教会と家のことで埋まっている場合があるとします。「あれもしないといけない」「これもしないといけない」に追われることになります。
しかし、1日が終わってみたら、不思議なことに控えめに言ってもこの世界に属するもので時間を使っては決して味わえないような、魂の充足感と安らぎと心の平安を頂くことができます。これは僕が何かができるとか、何かをしたから与えられるものではなくて、主の恵みです。
主は憐れみ深いお方
大切なことは、「信仰をもって取り組む」ということだと思います。肉からくるあらゆる感覚や声を無視して、「ただ主が僕の魂を救ってくださったから、そのことのために主に何かをしたい」という初心を忘れないようにすることが肉に打ち勝つ秘訣だと思います。これは信仰なくしてできません。また主との個人的な関係なくしてはできません。
そして、もう一つ大切なことは「主は憐れみ深いお方」だということです。なぜなら、人はいつも完璧な心と魂で主に仕えることはできないからです。これは誰でもそうだと思います。しかし、主は途方もないくらい憐れみ深いお方なので、主のゆるしの中で生きることができているのだと思います。