雲行きが怪しい
2週間前から1日に1時間祈るという課題を自分に課しています。一週目は順調で1日1時間の祈りができていました。1時間といっても、1回あたり1時間の日もあれば30分と15分と10分と5分で総計1時間という場合もあります。が、しかし、二週目は既に雲行きが怪しくなってきていますw
1044_祈りは自発的にするものだ!1時間とか強制的にやるのは律法主義だ!?
理由としては気の緩みと甘えです。隠さずに書くと、昨日なんかはお風呂で15分くらい、その他で5分くらい。差分は眠いからお布団に入って祈ろうとかゆってそのまま寝てしまいました。以前、祈りは霊的な戦いであり、勝ち取る必要があると以前書きましたが、現状負けているような状態です。
腐らずに打率を上げるだけ
と書きつつも、決してあきらめずに打率を上げていくために精一杯取り組んでいくつもりです。悪魔の策略はいつも「ほうら、お前にはできなかった。もうあきらめなよ。」だからです。それを知っているからこそ、自分の弱さを見て「あぁ僕にはやっぱりだめだった。」と思わないようにしています。
もし、それを自分の中で受け入れてしまったら、自分の中で整合性を取るためにわけのわからない理由をつけてチャレンジをクローズしてしまうからです。僕の中でよく起こるうち的言語はこのようなものがあります。「自分が弱いというよりも、そもそも、この忙しい現代で1日1時間いのることなんて不可能じゃね?やっぱそうだわ。」と聞こえたら終わりです。
失敗しても無駄じゃない
失敗するとどうしてもだめだったと思いがちですが、実際は成長するために必要だったとわかることもあります。今回もそれがありました。それは1日に1時間祈ろうと決めているからこそ、スキマ時間に神様に思いを馳せて祈ることができるということです。
それはシャワーを浴びている時でも通勤途中でもそうです。ふとした時に祈ろうと思える姿勢が身に付いたのはいいことだったと思っています。もし僕が1日に1時間祈るということを決めていなかったら、こういったマインドにはなっていなかったと思います。
目標を決めるからこそ体が動き出す
あんまり自己啓発的な表現は好きじゃないのですが、こういったことが当てはまると思います。それは、「人は目標を決めるとそれに向かって体が動き出しそれに向かって考えるようになる」ということです。自己啓発本にはよく「目標を紙にかきましょう!」とか「毎日口で宣言しましょう!」とかありますが、そういうことなのだと思います。
つまり、目標を定めなかったら自分自身がそっちに動き始めないということです。
という、1日に1時間祈ることが今は達成できていなかったとしても、厚かましく超ポジティブにとらえてチャレンジしていきたいと思います。