1237_家庭集会は最適な霊的訓練の場所だと思う

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福音宣教に直結する働き

昨日はできる限り近い将来のうちに家庭集会をもてるようになりたいということを書きました。これは自分から出たことではなく、祈りの中で与えられた思いでありそのためにはさらなる祈りによる準備が必要であることも書きました。

僕が家庭集会にこだわる理由はいくつかあります。もっとも大きな理由は福音宣教に直結する働きであり、自分が置かれているところでキリストの証をする絶好のチャンスだと思っているからです。僕はこのタイミングで準備期間に入りましたが、これは早くやらないにこしたことはないと思います。当たり前ですが、過去にさかのぼって家庭集会をもつことはできないからです。

最適な霊的訓練の場所

次に家庭集会は福音宣教の基本となる以上、将来もし、神さまからフルタイムの召しがあった時にある程度訓練された状態で召しに応答することができます。特に聖霊の導きの中でその一人ひとりにあった御言を引き出すには様々な霊的な訓練が必要になると思います。

聖霊の流れや導きに従うとはどういうことなのか?また御言は覚えていないと引き出せないので精度の高い暗唱聖句の訓練も求められます。さらに、賛美をどう導くか?などもよい訓練になると思います。

精度高く細かく悔い改めていく

なによりも、1回1回の集会に望む中で自身の霊性が引き上げられると思っています。具体的に書くと家庭とは結婚しているとはいえ、血のつながっていない人と同居している以上、少しの摩擦などが原因で感情や霊的状態に大きな影響を与える場所でもあります。

家庭集会をもつということは、日常のそういった小さな摩擦にも敏感になり、目を留めてより精度高く細かく悔い改めていくという過程が必要になってきます。そうしないと、家庭集会に集う人たちが、「この家は居心地悪いよね」となりかねないからです。

神様に頼っている限りは

僕は社会不適合者であり、元来悪く言えば気性が荒く、よく言えば喜怒哀楽が豊かな人間なので神様に全き信頼を置かないと絶対にできないと確信しています。しかし、救われて以降、神様が時には瞬間的に、基本的には少しずつ僕を造り変えてくださってきたように、神様に頼っている限りは神様の力によってできると信じています。

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