聖書の御言
キリスト教には様々な教派があります。そして教派によって強調される教義が異なる場合が多いです。しかし、おおよそどの教派でも共通にしている最も大切なことがあります。それは聖書です。聖書の権威、聖書の御言がキリスト教の土台になっているのです。
それは聖書が人によって書かれたものではないからです。聖書はゴーストライターならぬ、ホーリースリットライターなるものが人を通して書いたのです。つまり、聖書はまさしく、神の書物と言えると思います。
テモテへの第二の手紙 3:16
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
御言の力
御言には人を救う力があると書かれています。
ヤコブの手紙 1:21
だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。
また、御言には心の思いと志を見分けることができるとも書かれています。
ヘブル人への手紙 4:12
というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
さらに、御言は戦うための武器とも書かれています。
エペソ人への手紙 6:17
また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
特別な書物
このように聖書は普通の書物ではないことがわかります。特別な書物であることがわかっているのに、なぜ日本では聖書を読む人が相対的に少ないのでしょうか。それは聖書は霊で読まないといけない書物だからです。ワインは味覚だけではなく頭で飲む飲み物であるように、聖書は知識で読むと同時に霊で読まなければなりません。
多くの人が聖書の力を体験できない理由はここにあります。霊で読まなければそれはただの知識に留まってしまいます。聖書には素晴らしい言葉が多くあります。もし、聖霊によって個人的な体験として結びつかないなら、知識以上のものにはならないのです。
霊で聖書を読む
なぜ、そんなことが言えるのか?というと僕自身がそうであったからです。僕は幼い頃より教会に行って聖書のことはよく知っていました。しかし、それは僕に何の力もなかったのです。それは僕が霊で聖書を読んでいなかったからです。しかし、主に出会う体験をした時からすべてがかわりました。明日に続けます。













