0497_神が作った空洞

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神が作った空洞

パスカルはこのように言っています。

「人の心の中には、神が作った空洞がある。 その空洞は創造者である神以外のものよっては埋めることができない。」

引用元:note.com

外から僕を見た場合、人々の目にはきっと僕には何の問題もないように映っていると思います。見たところ、何不自由なく生きているように見えるからです。しかし、僕自身は僕のことを知っています。外見は問題がなくても、内側は飢え乾いているのです。それはパスカルのいうように神にしか埋められない空洞があって、その空洞を満たしてほしくて神を求めているのです。

神によってしか満たされない空洞

たとえ、ある人が健康的な体をもっていて、やりがいの仕事があって、人間関係に恵まれて、愛する家庭があって、持ち物に何の不自由がなかったとしても、もし、神が作った空洞が満たされていないのであれば、きっと、その心は虚しいのだと思います。

聖書には神は人間を神に似せて創造されたと書いていあります。それは神が霊であるように、人間も霊的な存在であるということです。パスカルがいう空洞とは、人間の霊的な部分のことであり、聖書でいうとその空洞は聖霊によって初めて満たされるものです。

主を求める時

ブログを振り返ってみると今年の4月29日にも「粘り強い祈りが求められる時」というタイトルでブログを書いていました。

また、年初には「一人聖会の楽しみ方」というタイトルでブログを書いていました。

どうやら、僕の場合、4半期に1度は魂に休息が必要になるようです。今はお風呂、部屋などで、1人で祈る時間をもって、この空洞を満たしてもらうべき主を求めています。イエス様はこのようにおっしゃいました。

そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。
ルカ11:9-13

必ず与えてくださる

求め、求め続ければ、必ず見出すと聖書は言っています。決して、空求めには終わらないのです。なぜなら、主は求める者に聖霊をくださらないはずがないからです。来週はいよいよお盆です。行動制限のない久しぶりの長期休暇ですが、個人的には聖霊を求める休暇にしたいと思っています。

おっさん
■神は求める者に必ず聖霊をくださる

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