0770_GW中の聖会

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教団の聖会

昨日は教団の聖会が開催されました。今日は二日目です。僕は昨年同様ライブビューイングでの参加だったのですが、GW初日から大きな恵みに与ることができました。直接会場には行けなくても、心静めて、飢え乾いた心をもって、主の前に出る時に、主は確かに触れてくださいます。

昨日も僕にとって今だけでなく、中長期的にも必要とされる非常に重心が低く、恵みと励ましの多い御言を頂きました。今日も10時半から、昨日の続きがあるのでとても楽しみにしています。

説教者

昨日改めて思ったことがあります。これは正しい評価でも正しい表現でもないかもしれませんが、それは「説教者」はかっこいいということです。それは決して容姿や話術がかっこいいというのではなくて、神の器として、御言と御心に精通し、ギリシャ語とヘブライ語に精通し、そして、祈りの器であり、聖霊に満たされていて、人々の心の琴線に触れるような御言を語るからです。

御言によってのみ、人は変えられます。そして、主はご聖霊によって聖書の言を祝福されて、そこから、励まし、力、勇気をお与えになり、回復を起こされ新しい道を開いてくださったりします。だから、牧師や伝道師ほどやりがいのある仕事はないとも思います。

説教者から学びたい

自分ひとりで聖書を読んでいても、なかなか、注解書を開いてゆっくり読むということがでいていません。ましてやギリシャ語やヘブライ語など原語で聖書を読むこともできないので、広く深く読むには限界があります。そこを説教者が長年の知識と経験と祈りと神の関係から教えられたことを、超絶わかりやすく例話を交えて語ってくださるので、非常に魂が祝福されます。

僕はただの一介のサラリーマン平信徒に過ぎないのですが、こういった方々に憧れをもちつつ、ロールモデルとして何か少しのエッセンスだけでもいいので、学んでいければと思っています。

今日から始まる

聖会は今日で終わりますが、語られた御言を自分の人生や生活に適応させて信仰を働かせて神様の御わざを見ることは今日から始まります。教えられたことを書いたノートを繰り返し見返して忘却に抗いつつ、GW後も主から目を離さず歩んでいきます。

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