ぼーっとする
先日歩いていて、このようなことを思いました。「何時間もぼーっとしてこの景色を見ることができればいいのに」と。昔から一人で一つの場所に居座って変わりゆく景色を見るのが好きでした。特に実家近くにはきれいな川が流れているので、高校生、大学生、社会人のそのときどきに、そこを訪れてベンチに座っていました。
今は行きませんが、社会人になってからは主要な観光地になっていない隠れ場的な庭園に行って、これまた何時間もぼーっとする時間を過ごしていました。きっと僕にとって、こういった時間はクールダウンとして必要だったのです。
こども中心
独り身のときだと時間の使い方は自由なので、こういった時間ももつことができますが、家庭ができて子育てが始まると「子供中心」に生活のすべてが回るので、こういった時間はほとんどなくなってしまいました。
もちろん、今は子供にとって非常に大切な期間ですので、子供中心の生活をすべきであり、それが神との交わりに次ぐ最優先事項になります。しかし、そういったやらなければならないことをやっていると、あっという間に一日が終わるといった生活の中にも「一人の時間」は必要です。
密かな企み
今はもっぱら祈りの時間が一人の時間です。奥さんにゆるしてもらって、朝15分、お風呂で15分、夜30分くらいは一人部屋に閉じこもって祈る時間が確保されています。その他は、そのときどきで祈っています。
しかし、今年はうまく調整して、なんとか、一人で一つの場所に居座って景色を何時間も見るということをやってみたいと思っています。一番ベストは奥さんが子供を連れて出かけるタイミングなので、その時を待ちつつ、ロケーションの選定を密かにしようと企んでいます。
ひとりじゃない
以前から何度も書いてはいますが、僕にとってはこういった時間は決して一人の時間ではなくて、イエス様との二人の時間です。いわゆる、一人閉じこもって祈るというスタイルではなくて、割ともっとカジュアルに神様からの語りかけを待ったり、自分の考えを整理して、神様に思いを伝えるといった感じです。
いわば、イエス様とデートに行くようなものです。イエス様は今も生きておられて、今もともにいてくださるお方です。だから、一人に思えるようなときでもともにいてくださるので、一人の時間がとっても楽しくなります。イエス様とどこに行こうか考えようと思います。