全く言える立場ではないですが
自分が学生だった頃、全く言える立場ではないですがこういう議論をしたことがあります。「顔がよくて性格が悪い女性がいいか?それとも、顔はよくないが性格がいい女性がいいか?」という何とも失礼な議論です。
そのような議論の中で出た当たり前の答えが出ました。それは「顔も性格もいい女性がいちばんだ」というものです。何度も言いますが僕は自身の顔面のレベルにおいても、資質や性格においても全く言える立場ではありません。
クリスチャンの成長過程
この議論はクリスチャンの成長過程においても似ている点があると思います。たとえば、「謙遜であるが能力はないか?それとも高慢ではあるが能力があるか?」の議論です。
もちろん、聖書の価値観で言えば謙遜であることのほうが重要です。謙遜は栄誉に先立ち、謙遜であるからこそ主の前にへりくだることができるからです。しかし、能力も無視できません。なぜなら、教会における実運営に関しては確かに能力がないと遂行できないからです。教会の運営に携わると資料作成能力や会計の力が求められますし、また人と人との関係の調整能力も大いに必要になります。
謙遜であり、能力もある
僕は自身のクリスチャンとしての成長過程を顧みて、このように思っています。それは救われて若かったころは本当に何ももっていなかったので「謙遜」こそが若さゆえの強みでしたが、社会人になってお金も稼いで能力が身についていくにつれて謙遜の徳が薄れてきて、能力のほうが強くなってくるようになってきました。それは、つまり高慢につながります。
しかし、最初にも書いたように一番いいのは、「謙遜であり、能力もある」人です。実際、僕が尊敬している教会の牧師先生を見ると、例外なく「謙遜であり、能力もある」人です。
モーセという人
聖書の中の人物でそれを体現している最たる者は「モーセ」だと思います。彼は当時最先端のエジプトの学問を教え込まれました。またユダヤ民族の歴史や創造主なる神の信仰や知識についても精通していました。それでいて彼はこのような人物だったのです。
民数記 12:3
モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。
一番、最悪なクリスチャンは「高慢であり、能力もない」人です。そのような人にならないようにと自戒を込めて書きました。