霊的解釈の書物にどはまり
最近はB.R.ヒックスという人が書いた「THE SONG OF LOVE」という本を読んでいます。B.R.ヒックスという人物が書いた書物に出会ったのは今から15年ほど前です。僕がペンテコステ派の大会に行った時に物販のおばちゃんに勧められて購入したものでした。おばちゃんは「この本には宝物がいっぱい詰まっているよ」というので買ったのですが、確かに霊的な解釈において目が開かれるような体験に導く書物でした。
それ以来、B.R.ヒックスの書物にどはまりし、日本語に翻訳されている書物はほとんど手に入れました。当時は僕はペンテコステ派の聖霊のバプテスマの体験をして真の意味で新生し、霊的な解釈の書物を好んで読んでいました。
霊的解釈の書物から遠ざかる
しかし、21歳の時に中国へ留学に行って以来、あまりそういった書物は読まなくなってしまいました。それは中国で福音派の教会と出会い体験や感覚に基づく信仰の弱さを痛感したからでした。「神が感じられないなら、神は僕と共にいない」という感覚を土台とした信仰は砂上の楼閣そのものでした。
それ以来、聖書をしっかり読んで御言を覚えて、御言に基づく信仰生活を送るという生活に変わりました。だから21歳以降、ほとんど16年くらい深い霊的に解釈された本は手に取っていなかったのです。
再び霊的解釈の書物へ
それが今になって再度読み始めているのです。その理由としては、神様がそのように導かれていると感じていることと、バランス的なことだと思っています。僕の今の信仰生活は霊的な側面がおろそかになっていると感じています。聖書の知識や御言を自身に取り込むことにおいては十年前と全く比較にならないほどですが、霊的側面においては「感覚的」ということに嫌悪感をもっておりあまり追求していなかったのです。
しかし、聖書ははっきりと言っています。「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」べきです。また「私たちの戦いは血肉に対するものではなく、天上にいる悪の霊に対する戦いである」ともあります。
霊的な目を訓練する
もし、こういった霊的側面をないがしろにするなら、真に霊的な勝利は得られないと思っています。だからこそ、今は深く霊的に解釈された書物を読んで霊的な目の訓練ができればと思っています。