0285_一人聖会の楽しみ方

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キリスト教会の宿泊行事

おおよそどこの教会でも、夏にはキャンプや聖会などの宿泊行事があります。信徒間の交流を深めるだけでなく、神様とゆっくりとした時間をとるために日常から離れて、神様に集中するのです。ただコロナ禍により、宿泊行事のハードルがかなり高くなってしまいました。2020年は未知のウィルスの恐怖があったので、殆どの教会で宿泊行事は控えてたのではないでしょうか。

ただ、2021年は知っている限り、そこそこ、宿泊行事をしている教会がありそうでした。Youtubeなどで○○聖会1日目などのように動画がアップロードされているところもありました。2022年はどうなるか、まだ未知の状態ですが、実行するにしても、そこからクラスターなどが発生しないことを祈るばかりです。

宿泊行事の特別感

僕はこのキリスト教の宿泊行事の雰囲気がとても好きでした。中国から帰国してからは仕事を優先していたので、ほとんどの夏期行事には参加できていなかったのですが、あの夏の特別な雰囲気、感覚、記憶は強く残っており、ただただ感謝と恵の時間だったと振り返っています。

今はコロナ禍で宿泊などは難しいかもしれません。ただ、日常の中に非日常を生み出し、そして、神様に集中する時間を設けることは、「その意志」さえあれば、誰でも実行可能です。

日常の中の非日常の恵

この年末年始に僕がしたことは、朝6時に起きて、お風呂に浸かり祈り、そして、詩篇150篇を朝日を待ちながら窓辺で読み続けるというものです。まず、僕の場合、6時に起床自体が非日常であり、新鮮さを味わうことができます。そして、朝風呂に浸かりつつ、普段祈れていないことなどを祈ります。

そして、祈りの中で聖書の言を宣言して神を賛美します。その後で、4時間ほどかけて詩篇150篇を一気に読んでしまいます。朝日を待ち望む如く、主を待ち望み、窓の外が少しづつ明るくなってくる体験は格別であり、魂が非日常レベルで恵まれる体験をしました。

たとえ、教会の宿泊行事に参加できなくても、活動が縮小されたとしても、自分と神様との関係には何も影響は与えません。なぜなら、聖霊として時空を超えて、私達の中に住んでくださり、神様の祝福と恵に与からせてくださるからです。

もし、年末年始に、物足りなさを感じているなら、一度、詩篇150篇一気読みチャレンジをしてみるのもいいかもしれません。

わたしは朝早く起き出て呼ばわります。
わたしはみ言葉によって望みをいだくのです。
詩篇119:147