祈りとは神殿
最近は祈りの神殿を立て直すことに注力しています。というのも、神様との関係を強固に結びつける祈りの土台がシロアリが巣食う家屋のごとくにボロボロになっていると気づいたからです。なぜ祈りが神殿かというとイエス様がそのようにおっしゃったからです。紀元前、ソロモン王が46年ほどかけて立て上げた神殿はイエス様が地上に来られたところには想定外の使われ方がしていたようです。
神殿で捧げ物に必要な子羊や鳩が売買されたり、捧げ物用の貨幣への換金業が盛んにおこなわれていたようです。それは、神中心の生業じゃなくて、金儲けの所業だったようです。それを見たイエス様は異常なまでの怒りを表しこのように言いました。
それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
マタイ21:12-13
神が建てた神殿
さらにイエス様は別の箇所でこのようにもおっしゃっています。
イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。
ヨハネ2:19
つまり、人間が46年建てた目に見える既存の神殿ではなく、イエス様が3日目によみがえったことにより、神と交わる祈りの神殿が打ち立てられたということです。だからこそ、この日本においても、わざわざエルサレムに行かなくても神様と祈りを通して交わることができるのです。
祈りの神殿を建て直すとは?
じゃあ、イエス様が開いてくださった祈りの神殿を立て直すとはどういうことでしょうか。おそらく、罪を悔い改めるとか自己中心的な生活から神中心の生活への変更など、具体的に色々なものが含まれると思います。僕自身が立て直す作業として実行している2点は次のようなものです。
- 必ず、朝に祈りの時間を天引きして祈る
- 祈りの中で御言を暗唱する
一週間が始まるとどうしても祈りの時間を削りたくなります。祈らなくてもいいかな~という誘惑も来ます。しかし、そこで、断固としてNOという決意をもって祈る時間を天引きするのです。さらに、祈りの中で自分の悩みや願望を神様に伝えるだけでなく、覚えた聖書の言葉を告白したり賛美したりすることによって、祈りの神殿が回復されているというのを少しづつ感じることができるようになっています。
暗唱した御言のメンテナンスも全然できていなくて、暗唱しようにもできないことが多くなっているので、今こそ御言によって祈りの生活を日常に持ち込みたいと思っています。