0421_自己制御に苦行は役立つか?!

苦行は自身の制御に役立つか?

今日は今朝読んだこの聖書の言葉がずっと頭の中をぐるぐる回っています。

もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。
コロサイ2:20-23

日常生活を送る中では、様々な感情や思いが沸き起こってきます。ある人に馬鹿にされたような態度を取られた時はイラッとしてしまいますし、考えが違う人を受け入れられずに心の中でバッサリ切ってしまったり、あるいは、神様に頼らない意思決定をしてしまうこともあります。僕が望むことはこういった感情から開放されることです。

平和に生きるために

もし、人との摩擦を避けたければ、山に籠ればそういった感情に支配されることはなくなるでしょう。あるいは、自分の肉体や精神を追い込むことで、そういった気持を克服しようとするかもしれません。しかし、律法においては落ち度がなかったパリサイ人の中のパリサイ人である超絶ストイックであったと思われるパウロはこのように言っているのです。

実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。
コロサイ2:20-23

僕の精神は毎日、心の中に自然生成される神様に喜ばれない感情と戦っています。また、健康的な身体を維持するためにカロリーコントロールや運動もしています。精神においても、身体においても、なんとか自分自身を制御しようと思っても、食欲に勝てなくて必要以上のカロリーを取ってしまったり、ネガティブな態度を出してしまうことがあります。

自分で制御することを捨てる

パウロはこういったことを制御あるいは、表出しないようにするために、自然発生的でない謙遜や苦行は何の役にも立たないと言っています。じゃあどうすれば自分自身を制御することができるのか?その問は、自分自身で制御するということを捨てなければなりません。なぜなら、主が心の中に住んでくださり、主が治めてくださるからです。

イエス様の十字架を心に受け入れた時に、古い自分はキリストとともに葬られました。日々、自分の肉的な性質に死んで、はじめてキリストの復活の力に与ることができるのです。僕に今必要なのは自分からはなれて、主の恵みによって治めるということだと思わされています。

このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。
コロサイ3:1-4

おっさん
■人間の欲望は人間自身では制御できない
■古い自分に死に、主と共に生きる時に主ご自身が恵みによって制御してくださる

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