0493_不適材を不適所に置く主

適材適所の原則は?

主は時に自分では不向きだと思っているところに置かれることがあります。世の考えでは、適材適所が原則です。適性のある者にその仕事をさせるのは良好なマッチングであり、正しいことです。しかし、主の方法は少し違います。あえて、不適材を不適所に置かれることがあります。それは人が高ぶらずに主だけに頼ることを望んでおられるからです。

モーセが召された時

例えば、モーセは人格的にも能力的にも非の打ち所のない人物でしたが、話すことが圧倒的に苦手でした。主がモーセを召し出して、イスラエルの民をエジプトから導く働きを任ぜられた時、彼は頑なに拒否します。彼は口下手だったので、そんな人物が何万人もいる民を導いたり、治めたりすることはできない言いました。

モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。
出エジプト4:10

しかし、主は天地の造り主ご自身が遣わすから全く問題がないこと、さらに実際的な助けもモーセに提案をしてくれました。こうして、モーセは自分自身が不適任だと思っている神の働きに従う決心をするのです。

不適材が不適所に置かれる時

もし、今、自分が不適材で不適所に置かれていると思っているなら、それは主の愛の現れかもしれません。主があなたを通して、栄光を現したいと願っておられるのです。もし、主の前にへりくだって主に助けを求めるならば、モーセと同じように主が共に働いて助けてくださるだけでなく、実際的な助け手も送ってくださると思います。そして、自分はいつも限界を感じながら生きていたとしても、主の憐れみによってその働きをし続けることができるのです。

僕自身は、直近、大きな失敗でこの仕事は向いていないと確信していました。しかし、助けを求めて祈る時に、「私の力はあなたの弱いところに働く」ということと「僕が主により頼む生き方を望んでおられる」ということが強く伝わってきました。

僕自身が高ぶることなく真に神様により頼むようにとの神様の愛の配慮なんだと思います。

僕は、何度も失敗するし、何度も心が折れるし、何度も不向きだ、合っていないと思うことがあります。しかし、主はこんな僕を実際的に助けてくださるだけでなく、自分の力では決してなしえなかったことすらさせてくださいます。自分の弱さや失敗を見ずに主を見上げて。

おっさん
■不適材でも主が置かれたところが主が栄光を表されるところ

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