教会に満足?!
クリスチャンの皆さんは、今行っている教会に満足してますか?もしかしたら、教会に満足しているという表現自体が人間中心主義が現れているかもしれません。なぜなら、教会はクリスチャンにとって具体的な行為を通して主に仕える事ができる場所だからです。もし、クリスチャンになってもなお、満足できるかどうかのような考えで、お客さんとしての立場で教会に来ているとするならばあまりよろしくないかもしれません。
もちろん、教会は神様が臨在されるところであり、神様の栄光が現れるところです。主の臨在があるところに満たしと自由があることを考えると確かに満足を与えてくれる場所とも言えます。
しかし、満たしを与えてくださるのは教会という組織や場所ではなく主ご自身ということです。
大きい教会は恵まれる?!
冒頭の問いに戻ります。僕は若かりし頃は、海外でワーシップが盛んないわゆるメガチャーチというところに憧れたことがあります。自分の大好きなジャンルやテイストで主を賛美できるのは素晴らしいことだし、同世代の人が多いのは励みになると考えたからです。もし、こういう教会だったら、もっと自分の同世代の友人を教会に連れてこれるのにと思ったものでした。
特にYoutubeなどで海外の教会のワーシップの様子を伺い知れるようになってからはその傾向が強まりました。カンファレンスで聴衆が主の臨在によって満たされているようあ様子を見ると羨ましくなったものでした。僕もここにいたい!と。
主は恵み深いお方
しかし、ある時から考えが変わりました。主が教えてくださったことは、「私の恵みはあなたに十分」(コリントⅡ12:9)ということです。主はメガチャーチにいようが、小さな教会にいようが、等しく同じ恵みを与えてくださるお方です。
主は決してわけへだてをされないということです。絶対に変わることのないことは、主は求めてくる者に必ず報いてくださるということです。僕が聖書から、あるいはこれまでの経験から知り得た主は、恵み深くて恵みの出し惜しみをされないお方だということです。主は良いお方なのです。
個人的に求める
もし、切に主を求めるならば、1対1で主と対峙するならば、主は必ずわけへだてをされずに素晴らしい恵みと満たしを経験させてくださいます。もし、個人的に主を求めることもしないで、ただただあの教会がいいな〜とか、あの教会に行けば信仰が成長する気がする〜とか言っているのであれば、いつまでたっても、満たされることはないでしょう。
もちろん、教会にはそれぞれ働きがあり、その働きに携わった者だけが味わえる恵みもきっとあることでしょう。それが教会の醍醐味です。しかし、教会のいかんで、信仰生活が左右されるというのは少し違うのではないかと思いました。