浮き沈みの激しい
このブログは「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。」を標榜しています。それは、これまで自身の信仰は浮き沈みが激しかったからです。たとえば、集会で恵まれた時は「主にすべてをお捧げして従います!」と涙を流して告白します。しかし、いざ日常生活がはじまったら日常の引力に引かれて「自分のやりたいこともやりたいんだ!」と肉が出てくるのです。
その結果、僕の信仰は非常の浮き沈みの激しいものになっていました。自分の状況や環境の影響をもろに受けていたのです。
下限の閾値
そういった信仰がいやだったのでまず「御言」に立つということを心がけるようになりました。そして、日々、時々刻々と主に祈り、感謝を捧げ、御言に触れることができるように、主のことに思いを馳せることができるように感じたことと思ったことを毎日書き留めようと思いました。それがこのブログが始まった経緯になります。
それ以来、若干の沈みはあったとしても下限の閾値を超えることはありませんでした。それは主の恵みからもれないように、たとえ、もれたとしてもすぐにもどれるような仕組み、システムを作っていたからです。
奈落の底へ
しかし、ここ一か月で自分に降りかかった状況は完全に下限の閾値を超えて僕をほとんど奈落の底へ突き落しました。そういった想定外のことをカバーできるまでのシステム(習慣)はもっていなかったのです。それから、僕はついに主に「そっとしておいてほしい」と距離を置くようにさえなりました。
「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。」を掲げている身からすれば、言っていることとやっていることが全く違うじゃないかと思います。それから2週間くらい過ごしました。
主はお前の祈りを聞かれたか?
その間に聞こえてきた言葉はこのようなものでした。
「主はお前を罰しているんだよ。そうじゃないとなんでこのようなことが起きる?クリスチャンでもこのようなことは起こるんだよ。そしてこれからも起こり続ける。見えるところを見たらいい。現状はどうだ?主はお前の祈りを聞かれたか?それがこたえだろう。」
僕はこのような心の声をもろに受け止めながら2週間を過ごしました。それから、Youtubeなどで説教を聞く中で自分が間違ったところにいることを気づかされるようになりました。明日に続けます。