主の助けはいつくるのか
クリスチャン生活の醍醐味は、「もうだめだ」と思った時に、主の特別な助けにあずかることができることだと思います。しかも往々にして、絶体絶命、四面楚歌、詰んだ、ぎりぎり、もう終了、といった極めて過酷な状況の時に、主が助けてくださるのです。詩篇の作者はこのように言っています。
しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、
主よ、あなたのいつくしみは
わたしをささえられました。
詩篇94:18
「私はあなたを見捨てていないよ。私はいつでもあなたの味方であり、助けるのだ。」と言わんばかりの助けを与えてくださるのです。
イスラエルの民が経験したこと
例えば、出エジプトを経験したイスラエル人がまさにそうでした。エジプト人の奴隷として強制労働に従事され、多くの辛酸をなめて生きてきました。しかし、彼らの叫びは確実に主の耳に届いており、主はモーセを遣わして、エジプトから彼らをあらゆる超自然的な方法をもって解放したのです。最大のクライマックスは紅海が分かれて、陸地が現れ、追手であるエジプトの軍隊から逃れたところです。
当初、イスラエルの民はエジプトを出発してから、意気揚々と歩いていました。しかし、追っての軍隊が近くにいることがわかると恐怖と不安と不信仰で完全にメンタルがやられてしまい、モーセに対して、愚痴を言いました。「ここで死なせるために出エジプトしたんだろう!」というようなことまで言われる始末です。
しかし、主は決して愛する者の叫びをお忘れになりません。絶体絶命、四面楚歌、詰んだ、もう終了というときに、主は海割りを行い、イスラエルの民を助けたのです。
日々、問題がある中で
主は、助け求める者の声を決して聞き流されません。日々の具体的な問題の中に実際に介入してくださり、特別な助けを与えてくださいます。僕たちの声なき声を未読スルーも既読スルーもされないのです。
もし、今困難の中にあっても、主は決して裏切ることのない僕たちの味方です。主は僕たちに気にとめて、目を注ぎ、関心をもって、見守ってくださっています。
「私はあなたを見捨てていないよ。私はいつでもあなたの味方であり、助けるのだ。」と言わんばかりの助けを与えてくださるのです。
しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、
主よ、あなたのいつくしみは
わたしをささえられました。
詩篇94:18
■主は絶体絶命、四面楚歌、もう終了というぎりぎりのタイミングで介入して助けてくださることが割と多い。
■だから、必ず主の助けがあることを信じて賛美しながら歩んでいきたい。