1469_サムソンの物語は他人事ではなく自分事

サムソンという人物

最近は通読で士師記を読んでいます。今朝はサムソンの記述を読みました。サムソンの名前は現在においてもあらゆるところで見られます。たとえば、キャリーケースでSAMSONITEという海外メーカーがありますが、これはキャリーケースがサムソンのように頑丈で丈夫で頼りになるというような意味が込められていると聞いたことがあります。

またかつてプロ野球選手でもサムソンという人物の海外選手がいました。彼はサムソンと同じく髪の毛を伸ばしていました。このようにサムソンは小粒の士師の中で、ギデオンと同じく際立っており、今の人の心を捉えているということがわかります。

いくつかの不可解なこと

しかし、サムソンに関しては不可解なことが少なくありません。彼は神に捧げられたナジル人として生きていましたが、その生き方は決してそのようではなかったということが聖書に明確に記載されているからです。

たとえば、モーセの律法には死体には触れてはならないとありますが、サムソンは獅子の死体にあったハチの巣からはちみつを取って食べます。百歩譲って自分だけならまだしも彼はそれを内緒にして両親にも上げるのです。

また彼は何度かペリシテ人に攻撃を加えたり、報復をしたりしますが、その方法が独特で理解しがたい場合もありました。数百匹の狐を捕獲してそれぞれを尾で結び合わせて火をつけてたいまつにします。それでペリシテ人の畑を燃やすということなどをしました。

主のご忍耐

僕はこの物語から3つのことを教えられました。一つは、彼が神の律法を破ったとしても主の霊はすぐに彼を離れなかったということです。彼が死体に触れた時に主は彼を罰してすぐに気づかせることもできたと思います。しかしこれは主の方法じゃありませんでした。

これは恐るべきことであります。その一つの理由は主のあり得ないほどの憐れみ、主の忍耐を表しているからです。二つ目の理由は、人が間違った方向に行ってもすぐにそれが矯正されない場合があるということです。それは主が人間の自由意志を尊重されているからだと思います。だから、僕は日々生きる中でその自由意志をどのように使って生きているか問われた気がしました。

守るべき最後の砦

彼が罪を犯しても主は共にいてくださっていたように見えます。しかし、守るべき最後の砦が崩れ去った時、主の霊は本当に彼を離れてしまったのです。それは彼の力の秘密であった長髪が失われた時でした。

これは何を僕に語っているのでしょうか?それは、「主は憐れみ深い、主は恵み深い、主は忍耐強い」と言って好き勝手な生き方をしてたら、時が来れば必ずその実を刈り取るということだと思います。サムソンの物語は他人事ではなく自分事だと教えられました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)