1343_今回のCS奉仕でのダメ出しは甘んじて受け入れた

教会の奉仕で失敗

先日、教会の奉仕で失敗してしまいました。教会で開催された外部子供向けのイベントで司会を任されていたのですが、そこで100%の力を出し切れなかったのです。だいたい毎回冒頭にPPTのアニメーションで作った渾身のゲームをアイスブレーキングにぶっこんで、初めてきた子どもたちも含めて盛り上げる役目を任されています。

しかし、前回は僕の心に緩みが生じていました。緩みが生じた原因としては下記のようなことが考えられます。

  • 朝から他の用事がありそちらに気持ちがもっていかれていた
  • PPTのゲームは以前から完成していて安心しきっていた
  • ゲームの内容は質が高いと判断し、盛り上がると思い込んでいた
  • 前回盛り上がった内容で盛り上がると思い踏襲した
  • 外部の子供が1名しか来ていなかったので全力でいかなかった

非常に耳にイタイ指摘

これを書くと完全に言い訳にしかなりません。上記のような理由で完全に盛り上がりに欠けてしまったのです。イベントが終わってから嫁さんに聞いたらやっぱり勢いが足りなかったとダメ出しを受けました。通常が100%とすると、今回のは60%の盛り上がりで、子供の答えの拾い方も雑だったと言われました。

それは僕自身感じていたところであり、非常に耳にイタイ指摘だったのですが、甘んじて受け入れました。

人間的なやり方や努力で盛り上げようとした

しかし、何よりの反省は僕自身が自身が作ったPPTや内容で盛り上がると思い込んだことです。外部子供向けのイベントとは福音宣教であり、祈りこんでやらなかったことが一番の問題だったと感じました。

なぜなら、教会活動における人間的なテクニックや方法は少しは大切ですが、もっと大切なのはそこにイエス様がおられるかどうか?だからです。もし、人間的なやり方や努力で盛り上げようとしてもそれは世俗的なイベントとなんの変わりもありません。

されどゲームになる

しかし、たかがゲームであっても祈りこんで臨めば、そこにイエス様がいてくださって、されどゲームになります。そして、そこが楽しい場所になるのだと思いました。

あなたはいのちの道をわたしに示される。 あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、 あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。
詩篇 16:11

1 個のコメント

  • アーメン!十分に準備したとはいえ、自分の用意しているものに自信がないときほど真剣に主に祈り、そして、主が先導してくださるのを見逃さないように気をつけ、終わったあと、爽快な気分と感謝があるのを日々の仕事において感じます。そして、自分の得意だと思われる分野のときほど、恐ろしいものはないです。本当にアーメン!と思いました。感謝します!

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