0079_ファミレスで上司に怒鳴られてた新入社員時代

GWのまとまった時間を利用して、観葉植物の各種アップデートを行いました。わずか5ヶ月ほどで、当初入っていた容器には収まらなくなったものが増えたからです。成長の度合いに合わせて、中サイズの観葉植物を大サイズの容器に入れ替えてやり、空いた中サイズの容器にに小サイズの観葉植物を植え替えてやり、兄弟間でのお古の服の連携みたいな感じで運用します。

それぞれの成長に応じて容器を変えてやることで、のびのびと成長できる土空間が造られ、鑑賞性も高まります。もし、大は小を兼ねる理論で、小サイズの観葉植物を大サイズの容器に入れた場合、存分の成長空間は与えられますが、全体が不均衡で鑑賞性が損なわれてしまいます。

ですので、身の丈に合った容器は大切です。

イエス・キリストと歩む人生も同じようなものだと思います。「これがクリアできたら、次はこれ。これができたら、これに挑戦。」というような形で、イエス・キリストに頼りつつ、キリストにあって、成長させてくださいます。

どんなに嫌な状況でも、挑戦したくないと思えることでも、それは神様から出たことであると信じること。そして、神様の御手の中に握られていて、頼り続ければ必ず、キリストにあって勝利できると信じるからこそ、敵前逃亡せずに真剣に祈り、取り組もうという力が湧いてきます。

最近、「神は乗り越えられない試練しか与えない。」という言葉をよく耳にします。これは真実でしょうか。強者の理論のようにも聞こえなくもないです。

僕は新卒で入社した会社での営業職は全く向いていなかったたので、上司に怒鳴られてばっかりでした。ファミレスなどの公共の場で大声で怒鳴られて、周りの客が心配そうに僕を見てきたり、ある時は、「俺の中学生の息子でもこんなことわかるわ!」と言われたりしていました。もし、あの会社で、これは神の試練だから乗り越えられると働き続けていたら、完全に精神的にやられていたと思います。

適材適所とあるように、神様が造ってくださった目的、つまり、神の良い作品として、どこに置かれるべきか、が重要です。その置かれた所であれば、神様に信頼し続けていれば、神様は一歩一歩導いて成長させてくださると信じます。

もちろん、以前の会社にいたことも、神様の御心であったと信じています。社会人としての基礎体力を身に着けられましたし、同僚や先輩には大変恵まれて辛い中でも神様の恵みがあったからです。

被造物は創造主に任せるのが間違いないです。造られた物は、クリエイターに任せるのが間違いないです。私のトリセツじゃありませんが、一番、わたしたちのことをしっているのは、創造主なる神様だけです。この神に委ねつつ生きていきます。

あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
あなたの義を光のように明らかにし、
あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
詩篇37:5-6(口語訳)