0141_労働意欲のかけらもない社会不適合者

悲観的なことを言いたいわけではないけれど、僕は社会不適合者的な面があって、まともな人間という基準があれば、間違いなく中央値から遥かはなれたところにいるのは重々自覚しています。完全に普通の人以下です。人格的にも欠点があるし、労働の意欲のかけらもないし、誰かの役に立ちたいという気持ちすらないし、あわよくば、ずっと寝て過ごしたいなどと思ってしまう怠惰な人間です。

ここまでなんとか生きてこれたのは、ひとえにイエス・キリストのおかげであって、キリストの勝利の御手に支えられて今日あるを得ているにすぎません。それにもかかわらず、愚か者は、もらっているものをもらっていないもののように誇ってしまい、高ぶり、キリストに頼ることをしなくなるから、本当にたちが悪いと思います。

しかし、日々、自分の弱さを痛感するからこそ、自分のおちょこ並みのキャパの限界をすぐにむかえるからこそ、あるいは、日々、チャレンジがあるからこそ、困難があるからこそ、また将来に対して一抹の不安があるからこそ、恐れがあるからこそ、今日も明日もキリストに頼るしかないという思いになり、風呂場でもキッチンでもあらゆる場所で、神を求めるしかありません。

ある人は、宗教は弱者が信じる者だというでしょう。僕は声を大にして言いたいのは、僕がそれです、と。弱いから神様が必要なんです。無きに等しい者、軽んじられている者、心の貧しい者だからこそ、キリストが必要なんです。

逆説的な言い方かもしれないけど、罪人だったから、イエス様に出会えた。ありえないけど、自分が義なる者だったら、キリストに出会うこともなかった。だからこそ、すべての者は罪のゆえにあなたに来ます。

だから、僕は本当に自分の弱さを誇ろう。