1444_無意識的有能にウルトラCが存在する?!

学習プロセス

人間が学習したり習慣を身に着けていく過程では一般的に下記のようなプロセスを経ると言われています。

  1. 無意識的無能
  2. 意識的無能
  3. 意識的有能
  4. 無意識的有能

1はそのそも学習する必要性(自身の無能)すら認識しておらず、無自覚のまま無能な状態です。2は自身の無能さを自覚はしているが依然として無能な状態です。3は意識している時はできるが油断するとできなくなるなどの意識的に学ぼうと習慣を身につけようとしている状態。4は意識しなくてもできてる状態を示します。

クリスチャン信仰の様々な過程

これは一般的な人間の学習過程ですが、これはクリスチャン信仰の様々な過程にも活かせると思っています。たとえば、イエス様に救われる過程を考えてみます。

最初は自身の罪すら自覚していなかった(無意識的無能)、福音を聞いて自身の罪を自覚するようになった(意識的無能)、御言を信じて魂が救われた(意識的有能)、聖霊による触れられてイエス様に出会い救いを確信(無意識的有能)

意識的有能

僕は最後の意識的有能を「聖霊のバプテスマ」と理解しています。ただし聖霊のバプテスマ関しては諸説あるので、否定される方もいらっしゃると思います。ただ洗礼を受けただけの状態と聖霊のバプテスマを受けた状態とでは信仰生活が全く違うと思っています。

それはただ洗礼を受けただけで全く生き方が変わらない人がいることが証明していると思います。

救われてからの信仰生活

また救われてからの信仰生活にも落とし込めます。特定の御言を知らずできていない状態(無意識的無能)、特定の御言を知ったができていない状態(意識的無能)、御言を行いたいと聖霊の助けの求めながら打率を上げ始める状態(意識的有能)、品性も人格も寝られて聖霊に満たされていて意識しなくてもキリストのような生き方ができている状態(無意識的有能)

ここで特定の御言としているのは、すべて一気に聖書の言を自身の生活に落とし込んでいくのは難しいからです。一つ一つ聖霊の導きの中で訓練されるものだと思います。また聖書のすべての言に対して無意識的有能な状態はこの地上ではありえないことだと思います。

愛に満ちたお方であるイエス様

これは聖霊の助けなしではできません。そう思うとなにか修行や訓練のように思うかもしれません。しかし、実はまたウルトラCが存在しています。それは、すべての御言を内包している「神を愛すること」と「イエス様が僕たちを愛してくださったように、周りの人を愛する」というものです。

だから、聖書の言に向き合ってそれができないと悲観する必要はないと思います。僕たちに必要なのは愛に満ちたお方であるイエス様が共にいてくださることにより、そのご性質が自身の人生に現れることだと思うからです。だから、僕の人生においてイエス様が一番であり、イエス様が必要です。

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