0668_「昭和的奉仕観」と「甘え」

体の不調

最近、ひどく怠惰になっている気がします。晩御飯を食べてからの過ごし方に関しては自分を律することができるようになりました。だらだらテレビを見たりスマホを触ったりして、うっかり深夜になってしまったという事態は避けることができています。

ただ、睡眠時間が尋常じゃありません。10時に就寝して次の日起きるのが8時とかなのです。10時間くらい寝ているにも関わらずとっても眠たいのです。

自分の回復パターンを知る

身体的な不調も現れていて、ここ1週間は左目が痙攣する症状もあり、身体が不調を訴えているっぽいのです。やる気もおこらなくて、ルーティンにしていたトレーニングも半年振りくらいにさぼってしまいました。

体調が悪い時は積極的に休息をとって回復する時もあれば、あえて、積極的に体に負荷をかけることによって回復する時もあります。体がしんどいなぁ~と思う時に、あえてランニングなどをしてみると意外に全回復することがあります。

自分の対処方法

とりあえず、対応としては、目を休ませるために引き続き睡眠時間を確保して、身体的な負荷をかけないようにしようと思います。それでも改善しなければ、逆に負荷をかけてみて様子をみます。もしそれでも直らないなら、おそらく不調はメンタル的なところからきている可能性があるので、別の方法を考える必要があります。

とりえあず、時間を捻出して下記を実行していこうと思います。

  • 誰かに会って話をする
  • 運動をする
  • 銭湯に行く
  • しっかり読書をする

クリスチャンだったら

クリスチャンだったら、「聖書読んで祈って元気だせよ!」と思うかもしれませんが、クリスチャンとて魂だけじゃなくて身体と心をもっているので、自分とはうまく付き合っていく必要があります。若い頃はこのバランス感覚がわかっていなかったので、かなり精神的にしんどくなったことがありました。

もし、バランスが取れてない状態で、奉仕!奉仕!祈り!祈り!でぐーっと自分を突き詰めていくと、負のループに入ってしまう場合があります。身体は休息を求めているのに、「主のために体に鞭を叩いて物事にあたれば、心が燃やされる」とやっていくと燃え尽きてしまう危険性があるからです。

もちろん、そういったマインドで自分を奮い立たせて奉仕できる方もいらっしゃるので、決して間違った考え方ではありません。そういった考え方は若い世代からは「昭和的」と思われるかもしれません。一方で先輩クリスチャンからは「甘い」と言われるのかもしれません。

主が教えてくださる

しかし、すべきことは主が教えてくださいます。「昭和的」や「甘い」と一括りにせずに、今主は自分に何を求めておられるのか?を聞くことができれば、主は教えてくださると思います。それがたとえ、祈りの中で明確にわからなかったとしても、周りの人を通して、あるいは、聖書や本などを通して教えてくださると信じています。

おっさん
■体調不良の時はまずは主に近づく

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