自己分析
3月になり2023年卒の就職活動が本格的になってきたようです。おおよそ多くの学生は就職活動を期に自分の強みや弱みを意識し始めるのではないでしょうか。就職活動ではエントリーシートを企業に提出する必要があり、いわゆる、ガクチカと言われる学生時代に力を入れたことをアピールするだけでなく、自己分析というものをしなければなりません。
自分のこれまでの人生を振り返り、自分の興味・関心があることを知り、強みや弱みを正確に把握して、企業が必要としている人材であるかどうかを明確に伝える必要があるのです。自己分析の方法論でよく言われるのは、強みと弱みは表裏一体であるということです。自分には何の強みがないと思っていても、もし、弱みがあるならば、必ず強みがあるということです。
強みと弱み
ドラッカーの書籍には強みと弱みという言葉でこのように記載されていました。
山あれば谷あり。人も、強みがあれば弱みもあります。逆に、弱みがなければ強みもないということです。残念ながら、弱みもない代わりに強みもないという人は、掃いて捨てるほどいます。
「われわれはいかに働きどう生きるべきか」P.F.ドラッカー
強い人には必ず弱みがあるということ。逆に言えば、自分の弱みがわかれば強みもわかるということだと思います。例えば、出不精で営業が苦手だと思っていても、黙々と事務処理をする仕事に向いているのかもしれませんし、話すのが苦手でも、レポート作成などの書く仕事は向いているかもしれません。また、自分では強みと思ってなかったことでも、他人から見れば強みと思える場合もあり、就職活動とは内省と対話によって、自分を見つけ出すような作業なのかもしれません。
神の人選
聖書の神の人選はまさに強みを発揮させるようなものでした。なぜなら、聖書を見てみると、神の器と言われた人たちは弱みがある人たちが多いように思うからです。モーセは口下手で神様に対し弱音を吐いていました。アロンはイスラエルの民の不信仰な要求に断固として拒否する強さがありませんでした。ダビデやサムソンは性的な欲望に対する弱さがありました。使徒といわれているヨハネは短気で怒りっぽく、ペテロは性急でした。
僕には他人の強みは見ずに弱みを見てしまう弱さがあります。欠点に目を向けるのは無意識的に行ってしまうのに、いいところにはなかなか目を向けることができないのです。このような僕に対して聖書にはこのように記載されています。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
マタイ7:4-5
自分の大きな欠点を棚に上げて他人の小さな欠点など批判などできようかということです。自分の欠点はよそに、他人の揚げ足を取ったり、批判をしたりしてしまうのは人間の弱さだと思います。そのような存在であるからこそ、聖書は、まずその自分の大きな欠点を聖書を読む中で、あるいはキリストの交わりの中で示してもらい、悔い改めて聖くされることを提示しているのだと思います。
■山があれば、谷があるように強みがあれば弱みもある
■神の人選は人の強みを発揮させるようなものであった
■例え、弱さを覚えることがあってもその度に悔い改めるならば、神は弱さを強さに変えてくださる