アイでの戦いにリベンジ
昨日に引き続き通読しているヨシュア記から書きたいと思います。本日読んだ箇所では前回敗走したアイでの戦いにリベンジします。ヨシュアは神が共におられて勝利できると確信するだけではなく、祈りによって神からの具体的な作戦内容も引き出しました。その作戦は非常に具体的なもので、伏兵を忍ばせておくなどの方法がとられました。
ヨシュアは前回の二の舞にならないように油断しませんでした。前回敗走した時は、「二、三千人」というざっくりとした人数で攻め上りましたが、今回は「大勇士三万人を選び」ました。彼は主から勝利を得られるという確信と具体的な指示をもらい、かつ自分にできることを全力でしました。
大勇士の伏兵3万人作戦
かくして、大勇士の伏兵3万人作戦は功を奏しヨシュアはアイを勝ち取ります。これは主が与えて下さった勝利でした。
この勝利は近隣国の王を恐れさせました。「このままでは俺らもイスラエルの民にやられる」と思ったようです。一部の王は複数で合作してイスラエルに攻撃を仕掛けることを企みますが、一つの国は別の作戦を取りました。
主のさしず
それは、自分たちが近隣国のものではなく、遠くからイスラエルの神を敬うためにはるばる来たとヨシュアに平然と嘘をついたのです。これに対して聖書はこのように書いています。
そこでイスラエルの人々は彼らの食料品を共に食べ、主のさしずを求めようとはしなかった。
ヨシュア記9:14
相手が言うことをそのまま信じてしまい、神に伺いを立てることをしなかったのです。そして彼らは契約を結んでしまいます。
そしてヨシュアは彼らと和を講じ、契約を結んで、彼らを生かしておいた。会衆の長たちは彼らに誓いを立てた。
ヨシュア記9:15
自分はどれほどのミスを犯すのだろう
僕はこの記事を読んだ時に意外に思いました。それは大勇士であり信仰者であるヨシュアがまたもはミスを犯してしまったからです。アイにおける初戦でのミス。また今回のミスです。原因は主のさしずを求めなかったからです。それは主に祈るということだと思います。祈ることなくして意思決定してしまったことが大きな失敗につながったのです。
僕はこう思いました。「ヨシュアですらそうなのであれば自分はどれほどのミスを犯すのだろうか」と。それは僕は日常生活のあらゆる場面で主にお伺いをたてずに実行していることが実はかなり多くあるのではないかと思わされたのです。
立っていると思う
「自分は祈って主にお伺いを立てて毎日を生きれている」という人がいるならば、この御言を心に留めないといけないと思わされました。
だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
コリント人への第一の手紙 10:12