0690_わかっちゃいるけどやらないクリスチャン

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やらないと意味がない

すごく当たり前のことですが、「知っている」のと「できている」のとでは全く違います。例えば、僕は先日、早寝早起きの習慣の本を読んだのですが、早速翌朝から8時くらいまで寝てしまいました。読んでも知識を得てもやらないと全く意味がないのです。知識や知恵は実践に移せてようやく価値があります。

聖書を読んでいても同じような状況によく遭遇します。「隣人を愛しましょう!」や「神を第一にしましょう」というようなことを説教や聖書から学んだとしても、それを実践しなかったら、自分の人生には何の変化も起こりません。ただの知識だけ知っている面倒なクリスチャンになるのがおちです。

わかっているけどやらない

僕は神を第一にしないといけないことは知っています。そして、主イエス・キリストを求めることが何よりも大切であることを知っています。し・か・し、突き詰めると、大して求めていないことも知っています。1日の可処分時間を僕はそれほど神様との個人的な時間に使っていないことを知っています。

見た後にすごく満足感が得られたり、心にすごい充実感が与えられることはないとわかっていても、テレビをだらだら見てしまったり、スマートフォンをダラダラ触ってしまったりしてしまいます。

自分を躾ける

もちろん、それを自覚して満足しているわけではありません。朝は早く起きれないことがわかったので、今は寝る前に少なくても1時間は神様との個人的な時間を過ごすように自分を躾けている最中です。今でまだ4日目くらいです。あることを習慣化させるには少なくても21日は実行しないといけません。自分のやりたいことや甘えの考えを捨てて主との時間を天引きして実行することができれば、あとは習慣が自動で自分を動かくしてくれるようになります。

こんなことをしていると、ある人は「ストイックだ」とか「律法的だ」と思うかもしれません。しかし、何歳になっても自分を躾けるのは必要なことです。どんなことでも、それほどエネルギーを使うことなしに、いい習慣を自分に躾けることができる人はストイックでいる必要がないかもしれません。

しかし、僕みたいに怠惰で社会不適合的な人間は自分を躾け続けないとだめなのです。ストイックにやってちょうどいいくらいなのです。

すべての過程に主が共におられる

なんといっても、最大の恵みは主に近づこうと奮闘する時に、主が助けてくださるということです。だからすべて神様の恵みだ!と確信することができるのです。今の取り組みもすごく楽しいのです。もし、主との時間を安定的にもつことができたなら、きっと素晴らしい人生になるだろうと確信ているからです。

おっさん
■実践してこそ意味がある

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