0086_中国の教会と共にリモート奉仕できる恵み

先日、中国の教会でお世話になった人たちと久しぶりにチャットで話をして、一緒に賛美をする恵みにあずかりました。もう日本に帰ってきてから、5年以上経ちますが、今でも頻繁に連絡を取り合えて、昨日の友達のように仲良くできるのは、神の家族として繋がっているからだと思います。

たとえ、目に見える状況は悪くても、いつもキリストにあって底抜けに明るくて、大きい声でゲラゲラ笑う姿が思い浮かびます。

中国へ行く前は、どこの教会に行くかも決まっておらず、行き先のない旅のようなものでした。半年間は砂漠の中を一人で彷徨っていました。しかし、神様の御計画があって、導きにより、この教会に出会わせてくださいました。

初めてその教会に行った時は、カラカラに乾きった魂にみずみずしい泉が湧き上がり、冷たい心に暖かい毛布を肩からかけてもらったような安堵感がありました。本当に体を休息させるオアシスを見つけたような感動でした。

ちょうど、その頃は、日本語教師としても行き詰まっていて、本当にこれでいいのかと迷っている時期でした。生徒たちとの関係も悪化しており、疑心暗鬼になって、空回りの授業ばかりを繰り返していました。そこに、中国全国で、反日デモが勃発して、授業がなくなるから、泣きっ面に蜂状態です。当時も日本人は外出禁止と言われていたので、今の状況と似ていたかもしれません。

その日の夜の集会のあとは、1時間ほど一人で歩いて家に帰りました。ずっと憧れだった中国の教会に行けたこと、神様は決して見捨てていなかったこと、そして、どこにいても、共にいて救ってくださることが嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。絶望の淵に沈むような状況でも、神の光は直視できないほど強烈にわたしたちを照らします。

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
ヨハネ1:5(口語訳)

僕が嬉しいのは、こういった過去のことをノスタルジックに話すだけじゃなくて、現在、彼らと神様のために何ができるかを奇抜なアイディアで話をして、共に神を褒め称え、共に働くことができることです。

「あの頃は良かった」じゃなくて、たとえ、今の見える状況が悪かったとしても、「キリストにあって今が一番いい」とお互い言い合えることが感謝です。たとえ、離れてはいても、さらに、未来に向かって、共にキリストにあって奉仕ができることは恵みです。