1129_信仰が落ちているなぁと感じる時

豊かなクリスチャン人生

豊かなクリスチャン人生を送るためにはいくつかの秘訣がありそうです。ここでいう豊かなとは「魂がいつも恵まれている」ことを指します。または魂が満たされているともいえるかもしれません。恵まれていることと満たされているということはクリスチャンがクリスチャンであることの重要な指標だと思います。

なぜなら、満たされていなかったら、心の中で自分を他人と比べたり、不平不満が出てきたり、ひがんだりねたんだりしてしまいます。それは貧しい心です。

また、もし恵まれていなかったら、たとえ相手が悪かったとしても相手を受入れることができなくなります。なぜなら、1万タラントを赦されたことを思わないからです。恵まれてないから100デナリの借金すらゆるせなくなるのです。

クリスチャン生活の基本

では、満たされた豊かなクリスチャン人生を送るためにはどうすればいいのでしょうか?模範解答だと、日々聖書を読み、祈り、集会に参加するということでしょう。さらに一歩前進するのであれば、兄弟姉妹と交わり、人のためにとりなしの祈りをすることだと思います。

しかし、長いこと信仰生活を送っていると聖書を読むことと祈ることと集会に参加することが儀式的になってしまうことがあります。新鮮な主との愛の交わりから遠く離れてしまう可能性があるのです。僕自身はこれまで何度も無味乾燥な儀式的な信仰になってしまったことがありました。

基本ができていても豊かとは限らない

ですので、そういった状態になっていないかどうかをチェックする必要があります。一つのチェックポイントは「自分は家で扉を閉めて一人で祈ることができるか?」です。さらに厳しくチェックするなら、「その時に自分のためだけではんくて誰かのために祈ることができるか?」です。

僕自身はもしそれが自分にできないのであれば、それが今の自分の状態であることを認めるようにしています。それは恵まれておらず豊かな心でないのです。

思い出すことと感謝すること

では、もし一人で祈ることすらできない時はどうすればいいのでしょうか?これも僕が実践しているものですが、「自分が救われる前はどんな状態であったか?」を思い出すことです。過去いかに自分が罪深い人間であったか?どれほどの迷惑を周りにかけていたのか?どれほそ主を悲しませていたのか?そしてそのような者に対して主がどれほどの愛を示してくださったのか?に思いを馳せることです。

そうするならば、感謝が心に溢れてきます。その感謝の心が主との一対一の祈りに導いてくれるのです。祈りはたった一言でもいいのだと思います。

「イエス様、救ってくださってありがとうございます。」

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