口ずさんでいる賛美
最近ずっとこの賛美を口ずさんでいます。いつもYoutubeで礼拝をしている教会で賛美されていた曲です。
何ものも 主に変わるものはない
どんな恵みも 求めないイエスだけが 私の助け主
主を仰ぎ見 生きたい主よ愛します 心尽くして
御神の真実な 友になりたい
この賛美は現在の僕を正しい方向に向けさせるために必要な歌詞がすべて含まれていました。特に3つのフレーズが僕の心を強く動かしました。
2つのフレーズ
何ものも 主に変わるものはない
僕の中には主に変わるものがたくさんあります。口ではあなたは私の主、あなたのほかに私の幸いはないと言いながらも、心の中に主に変わるものがたくさんあることを知っています。
どんな恵みも 求めない
僕は口ではイエス様だけを求めると言いながら、実際は、ご利益宗教のように恵みを求めていることを知っています。家庭、仕事、プライベートすべてにおいて、恵みがほしいと思っているのを知っています。まず神の国と神の義を求める前に「恵み」を求めているのです。
3つ目のフレーズ
主よ愛します 心尽くして
僕は心の中に、イエス様以外の愛しているものがあることを知っています。それは数日前に書いたブログでもあるように、僕の心の中にあるアシラ像です。
御神の真実な 友になりたい
神さまはすべてをご存じで、神様の前に偽ることはできないと頭でわかっています。しかし、実際の行いにおいては僕は全く神様に対して真実な生き方をしていませんでした。つまり、言っていることと行いが全く一致していない偽りの歩みをしていたのです。
友になりたい
この賛美を口ずさんでいて、心に迫ってくるのは、イエス様ご自身が真実な友を探しておられるということです。そして、イエス様が僕と友になりたいとおっしゃっているということでした。
僕は毎週教会に行っているし、聖書も読んでるし、悪いこともしていないし、まぁまぁまともな生き方をしているから、イエス様の友だと思っていました。しかし、実際は全くイエス様の共になっていなかったのです。
正しい方向に向き続けるまで
友というのは「友が何かしてくれるから」とか「友のために何かしているから」というような関係じゃありません。ただただ、その存在が慕わしく求める存在です。
僕は自分が完全に正しい方向に向き続けるまでこの賛美を歌い続けます。
何ものも 主に変わるものはない
どんな恵みも 求めないイエスだけが 私の助け主
主を仰ぎ見 生きたい主よ愛します 心尽くして
御神の真実な 友になりたい