日曜日以外の日々
クリスチャン生活において主日(聖日)は日常から聖別すべき日で何よりも大切です。しかし、それと同じように残りの6日間も同じように大切です。日曜日であれば多くのクリスチャンが集うのでどのように日曜日を過ごして、どのように礼拝して祈っているかを見ることができますが、残りの6日間に関してはほとんどわかりません。
これはクリスチャン生活のブラックボックスともいえると思います。毎日のデボーションの生活(祈りと御言)が非常に大切であるということはわかっているにもかかわらず、ほとんど他の人のデボーションを参考にすることはできないのです。
もちろん、ある程度の方法は教えてもらうことができます。これこれのテキストを使って最初に祈りと賛美から初めて聖書を読み祈って終わるというようなものです。しかし、それはあくまでも知識であって実践をどのようにするかは知ることはできないのです。
日々のデボーション生活のいかんで、信仰生活に圧倒的な差が出てくるものです。それは日々の祈りや行動や奉仕に非常に明確に表れてきます。こういった書き方は誤解を生むかもしれませんが、教会でのパフォーマンスのいかんは日々の生活のデボーションにすらかかっているのです。
両親の方法を踏襲している
僕が知っている実践的なデボーションの方法は両親のスタイルを継承しています。母は毎日必ず一人で部屋にこもって聖書を読み祈る習慣がありました。これは誇張ではなくて、誰も入ることはできない思わせるほどの神聖な雰囲気を醸し出していました。また母がいる空間には必ず説教のテープが再生されていたり賛美の曲が流れていました。父は会社に行く前に大きな声で神様の助けを宣言してから会社に行っていました。
そういった両親の日常での信仰生活を小さいころから間近で見れたことは僕の今の信仰生活に大きな影響を与えています。
自分が受けた影響を
そして今は僕がその両親の立場になっています。僕は両親の方法にならって必ず一人部屋で祈り聖書を読む習慣を続けています。またリビングにいる時でも賛美を流したり聖書を開いたりして読むようにしています。
それは決して子供へのパフォーマンスではなくて、いつでもどこでも主と交わりたい、主の臨在を感じたい、主と共にいたいという気持ちの表れです。子供に個人的な信仰をもってもらうのは困難なように思える時もあります。しかし、今から祈り続ければ、子ども自身が主体的に能動的に自主的に自立的に主を求めて、復活した主と出会える時が来ると信じています。