1100_エズラ記、ネヘミヤ記を読んで

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どのような状況にあっても

最近通読では歴代志も終わり、エズラ記やネヘミヤ記と入っています。分裂後、イスラエルの王国とユダの王国はそれぞれ、アッシリアやバビロンに捕囚されていきましたが、神様の不思議な働きが始まります。なんと異国の王であるクロスがイスラエルの民に国へ帰って神殿の再建を許可するのです。

エズラ記やネヘミヤ記ではどれだけ絶望的な状況であったとしても神のご計画は変わらないこと、そして、いつどのような状況、時代にあっても、主を求める者がいるところで主は不思議なわざをしてくださるということを知ることができます。

約束に忠実なお方

神様はご自身が立てた契約に対して驚くべきほど純粋で忠実です。これはすぐに心変わりする人間にはなかなか理解できません。列王記から歴代志に登場するあらゆる王も最初は良かったがあとで悪くなったとかが多いです。人間は状況が変わるとすぐに心変わりするのです。それは僕自身も同じです。

しかし、神様は違います。絶対に心変わりしないのです。この御言に対して忠実な神様の対応こそが人類に対する神対応なのだと思いました。なぜなら、アダムが罪を犯して以来約束されていた贖いの計画を神は確かに成し遂げてくださったからです。あとから心変わりせず、計画を撤回せず、御子を惜しまずに人類に捧げてくださったのです。

神の助けと最善を尽くすこと

さて、今はネヘミヤ記を読んでいますが、ネヘミヤ記では神殿の再建に対してしつこいほどの抵抗を受けたことが書かれています。内部メンバーが買収されて欺かれそうになることもありました。いつの時代であっても、大きな神の働きを何としても阻害しようする抵抗が起きるものです。ネヘミヤはいつも主に助けを求めました。ネヘミヤ記には頻繁に「神がよく私を助けられたので」という記述が多くあります。

また彼らは具体的に自分たちにできることを精一杯したことが記載されています。具体的には再建中に敵から攻めてこられて戦いが起こってもいつでも戦えるように武器を身に着けて再建作業にあたったと書かれています。

武器を手を携えて作業をするのはとても面倒なことなのですが、彼らはそれでも再建をやめませんでした。

聖別が必要

エズラ記、ネヘミヤ記では民を聖別したことも書かれています。異邦人を娶ったイスラエルの人を聖別しました。また彼らは再建にあたって自分たちの時間を捧げ時間を聖別しました。そして、彼らは主に心を感動させられて、心ひとつにして再建にあたったとあります。

主のわざに携わりたいのであれば、まずは自分を聖別していただかなければならないということを改めて感じました。

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