1589_人の命は直線か?円を描くのか?

人の命は直線か円を描くのか?

人の命は直線か円を描くのか?いずれの認識をもっているかで生き方が変わると思います。直線系の人生とは生まれた瞬間から死ぬまで一直線になっており、死と同時に直線が終了するというものです。自身の財産や遺伝子を次の世代に残せたとしてもそれは自分の命ではありません。確かに死と同時に直線は途切れるのです。

円を描く人生とはこの地上での人生が終わったとしても、螺旋階段のように上に続いていくようなものです。つまり、死んでも生きるのです。

キリスト教の本質

これはキリスト教の本質をなす考え方です。イエス様の十字架は人類の罪を完全に赦すものでした。それにともなって多くの祝福や恵みが人類にもたらされました。その中でも「永遠のいのち」は最も価値のあるものです。なぜなら、それこそが約束のものだからです。

聖書にはアブラハムもノアも約束のものは受けなかったと書かれています。彼らは寄留者、旅人としてこの地上で生きて約束のものは天のふるさとであったと書かれています。

ヘブル人への手紙 11:13
これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

人の一生は四季そのもの

つまり、こういうことだと思います。人の一生は四季そのものです。生まれてから春、夏、秋、冬と生きていきます。キリスト教の教え、命が円を描くという考え方は、冬で終わりません。じゃあ、どうなるのでしょうか。死んだ後に、天のふるさとでまた春が始まるのです。

この考えは希望を与えてくれます。キリスト教の素晴らしいところはこれがただの文字の教義で知るだけではなく、生きたキリストとの出会いを通して永遠を体験し、確かに約束の天のふるさとがあると確信できる点です。

そのまま天のふるさとの春に入るだけ

今、我が家に与えられたお腹の中にいる子供は、生まれてすぐに死ぬと言われています。しかし、彼は死んで終わるのではありません。この地上での春、夏、秋、冬を通らずに、そのまま天のふるさとの春に入るだけなのです。もちろん、親としては、彼と一緒にこの地上で四季を共に歩みたかったと思います。

しかし、天のふるさとで会える希望があるのです。それこそが約束のものです。

ヨハネの黙示録 21:4
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

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