1101_子供が保育園をやめることになって思ったこと

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一旦保育園終了

今年度から様々な事情があって子供が一旦保育園をやめることになりました。とりあえず、2年間ほどは家で過ごすことになりそうです。当初は嫁さんの意向で3歳くらいまでは家で面倒を見る予定だったのですが、昨年想定外のことが起きて急遽保育園に入れることになってしまっていました。

想定外のこと続きでしたが、昨年ほど自分自身が大きく成長した年はないと思いました。

主にゆだねることを学ぶ

1歳から両親から離れて保育園に行くことに関して、他人の子供であれば「そういう場合もあるだろう」とか「すぐに慣れるから大丈夫だろう」とか思っていましたが、いざ自分の子供になるとそんなにあっさり考えることができませんでした。

たった1年しか生きておらず、自分ではほとんど何もできない状態で保育園に行かないといけない子どもの心情と、離れなければいけない母親の気持ちを思うと胸が痛くなりました。しかし、そのことを通して「主にゆだねる」ことを教えてもらった気がします。

主のご計画の中にある

子供が保育園に行くということは完全に自分の手から離れることです。そこからは僕自身の影響の範囲外でありどうしようもありません。しかし、僕ができることがあります。それは祈ることでした。毎朝決まった御言を告白し、こどもと一緒に祈り一緒に保育園行くことができたのは、子供にとっても僕にとってもよかったことだと思っています。

もし保育園に行くのが3歳くらいからだったら、1歳からこのような主にある訓練を受けることは決してできなかったでしょう。人間にとっては想定外のことであっても主にあってはすべてご計画の中で行われていることなんだと改めて事後的に確信しました。

人生でたった1度しかないその1年

そして、今年度からは母親と過ごす時間が増えるのですが、保育園に行くまで母親にいっぱい甘えてもらい、いっぱい御言や主にある養育を受けてもらえたらと思っています。とても当たり前のことですが、誰にとっても1歳の時は1年しかありません。そして、それが過ぎ去ったらもう二度とその1年は戻ってこないのです。

今年は2歳になる年ですが、人生でたった1回しかない2歳という1年が主にある1年になるように心から祈っていきたいと思います。

父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。
エペソ6:4

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