信仰!信仰!だけではだめ
誤解を与える書き方になるかもしれませんが、クリスチャン生活をしばらく送っていると、いわゆる「信仰」だけではこの地上では生きていけないことがわかります。神様により頼む姿勢は何よりも大切ですが、自分の分を果たすということも重要だとわかります。
クリスチャンはすべからず大宣教命令を受けたのだから、毎日布教活動すべしと思いつつも、実際は多くの時間を仕事や勉強や家事などに時間を使っています。イエス様ご自身がこの地上において大工として働かれたように、その足跡を踏む者としてこの地上で自分が果たすべき分がそれぞれあります。
自分の果たす分がある
自分の果たすべき分というと、仕事とか勉強とかはイメージしやすいです。最近、エステル記を読んでいて思ったことは、この地上で生きるためには信仰だけでなく知恵も必要だということです。この知恵は神から与えられる知恵です。神のなされることはすべて時にかなって美しいという金の枠に銀のリンゴをすぽっとはめるような知恵が人間には必要なのです。
なぜそんなことを思ったかというと、エステル記でハマンの謀略によりいよいよイスラエルの民が滅ぼされるというときに王妃であるエステルは自分の命を顧みずに王のところへ行きます。
エステエルガとった方法
王のところへ行って、直接王に「ハマンが自分と同族であるイスラエルの民を殺そうとしているからやめさせてくれ」とゆうと思いきや、彼女は非常に知恵のある方法で王に伝えます。まず、イスラエルの民族のことには触れずに「王と共にハマン同席で食事がしたい」とだけ言うのです。そしてその食席ではエステルはまだハマンのことを何も悪く言いません。また別の日に食事をするように王に依頼するのです。
そして、その日の晩、王は夜眠れなくなり、昔の日誌を家来に読んで聞かせていたところ、エステルの育て主であるモルデカイの功績が読まれることになるのです。そこで王は全く別の角度からスイッチが入りました。このモルデカイに褒美を差し上げてやりたいというのです。
神からくる知恵
かくして、2回目の食事の時、王がモルデカイに褒美を授ける話しをして、さらにエステルがハマンの謀略を伝えます。そこでハマンの策略は打ち破られ、逆に自分自身が殺されることになるのです。
ここで学んだことは、人間はこの地上で生きる上で、信仰が必要ですが、それと同じように神からくる知恵が必要だということでした。信仰によって神により頼めば、神は必ずそれを遂行するための知恵を与えてくださると信じます。
もちろん、その時には神から与えられた知恵だとはおもわないかもしれません。ただただ必死で神様に助けを求めて行動しているかもしれないからです。しかし、神の時がなった時に、事後的に「あれは神様が与えてくださっていた知恵だったのだ」とわかる時がくるのだと思います。