「躾け」に関して
子育てをしていて学んでいることがあります。それは「躾け」に関してです。躾けなければこどもは馬鹿息子(娘)になります。しかし、うまく躾ければ人から愛される人間になります。
躾けることに関して誤解を恐れずに言えば、「いい子」になる必要はないと思っています。なぜなら、抑圧された「いい子」は遅かれ早かれ爆発して家族だけでなく周りにも迷惑をかけることが目に見えているからです。
じゃあ、人から愛される人間になるように躾けるにはどうすればいいのでしょうか?躾ける中で少しずつ分かってきたことがあります。それは「躾けるべき時に躾け、躾けなくてもいい時は躾けない」ということです。
矛盾を感じ取る
書けば簡単に思えますが、この判断は誰にでもできるわけではありません。こどものことをよく知っていなければできないのです。だからこそ、親は子供のことをよく知らないといけないと思わされています。
自分も含めて親は往々にして躾けなくてもいい時に躾けようとします。そしてたちが悪いことに、イライラしていたり感情的になっている時に躾けたがるのです。親の機嫌がいい時、あるいは余裕がある時は怒らないのに、親がイライラしている時や余裕がない時は怒るのです。
こどもはこの一慣性のなさを感づいています。矛盾という言葉は知らなくても、矛盾ということを感じ取っています。以前はこれをしても怒られなかったのに、今回はすると怒られるということを感じ取っています。
感情や気分によってこどもを躾けない
一方、本当の教育者である親は自分の感情や気分によってこどもを躾けません。もちろん人間なのでイライラすることもあるでしょうし、余裕がない時もあると思います。しかし、「躾ける時に躾け、躾けなくてもいい時」を判断して対応するのです。
正直僕にはそれがほとんどできていません。なぜなら、僕は対人関係において圧倒的で致命的な欠点をもっているからです。それは「相手の立場になって考える」や「他人の感情を読み取る」などです。それが全くできないのです。
父は黙って子供のために祈れ
しかし、嫁さんはその点、教育者として目を見張るものがあると思っています。僕だったら感情的になって怒っているだろうなというところで怒らず、そして僕なら怒らないなというところで怒るのです。そしてよく観察していると確かに理に適っていると思わされるのです。
もしかしたら、「お前は父として失格だよ」と言われるかもしれませんが、現時点ではこのように思っています。
「父は黙って子供のために祈れ」
男は、怒ったり争ったりしないで、どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい。
テモテへの第一の手紙 2:8