理解しがたい忍耐
先日こどもとイオンへ行きました。子どもたちが靴を抜いで遊べる無料エリアがあり、そこでこどもを遊ばせていました。子供が10名くらいいて周りに保護者が数名います。走り回っているこどもも多くぶつかったりしないか心配しながら見ていました。
その時に一つ思ったことがありました。それは、「もし、誰かが自分のこどもがぶつかって大怪我でもしたら僕はその保護者に対して冷静でいられるだろうか?」という自問です。僕はその時に、天の父の途方もないほどの理解しがたい忍耐を人類に対するご愛を思いました。
どうして私をお見捨てになったのですか?
親として「自分の子どもを傷つけるのは赦さない」、「自分のこどもが傷つけられているのは見ていられない」と思うのは普通の反応だと思います。そして、子ども同士のやりとりであっても、親が介入して問題解決にあたるのです。
しかし、天の父はどうでしょう?たとえ、我が子が傷つけられることがあっても介入されませんでした。それはイエス様が「どうして私をお見捨てになったのですか?」という叫びに現れています。天の父は「人間の罪をゆるし和解する」ことを願っておられたのです。この天の父の愛の大きさは人間の小さな頭では理解できません。ただ霊的な領域においる啓示においてのみわかるものだと思います。
このこどもの親どこやねん!
そんなことを考えていると何人かの子供は親と一緒に帰ってしまっていました。僕の子ども以外に2名の子どもがいます。しかし、周りには親はいません。そしてその一人の子は「のぼってはいけない」と書かれている遊具に上ったりしていました。僕は心の中で「このこどもの親どこやねん!」と思っていました。
すると、そのこどもが僕の子どもに対して足を近づけているのが見えました。僕のこどもは何かわからず後ろに引きさがりました。そうすると、その子どもがもっと足を顔に近づけていきます。僕は「無視したらいいよ。こっちおいで。」といって自分のこどもをその子から引き離しました。
かくれんぼしよう
しばらくしたら、その子のお兄ちゃんが僕のところにきました。話を聞くとお母さんはおばあちゃんと一緒にサイゼリアにいるらしいです。僕は放置されているこども2人が急にかわいそうに思えてきました。それから、しばらくおしゃべりしていたらお兄ちゃんが「かくれんぼしよう」というので僕は自分のこどもそっちのけでその子ども二人とかくれんぼすることになりました。
僕は二人が楽しんでくれたのでよかったと思いました。教えられたことは「何かの行動の裏には何か事情が背景がある」ということです。下の子がのぼってはいけないところに上ったり、足で嫌がることをしているにはそういった事情があったのでした。