この世界はあまりにも理不尽
先日、嫁さんと子供をどこの幼稚園に入れたらいいか?という話をしていた時に、子供がどのような環境で育ってほしいか?という話に広がっていきました。僕としては、自身が子供の頃、近所のお兄ちゃんに遊んでもらって育ったので、そのような環境で育ったらいいのになと思いました。
理由としては、必ずしもいつも親切だとは限らないお兄ちゃんたちの中で、わずか5歳や6歳くらいでこの世界はあまりにも理不尽で苦痛で満ちているということを知ることができるからでした。
幼いころの体験
幼いころのそういった体験があったことは、僕をより一層厭世的にしましたし、この世界で生きていく先行きに不安しか覚えなったように思います。中学校の頃の部活で今ならパワハラやいじめと言われるようなことをされても、この世の中ってどうせ苦痛に満ちているからという変なあきらめがありました。
じゃあなぜそのような環境で育つことを僕は子供に望むのでしょうか?それは厭世的な態度やこういったこの世に対する見方は、確実に人を神様に近づけるからです。僕自身はむしろ、小さいころにそういった体験をしていなかったら、今救われてすらいないのではないかとも思います。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
38歳になった今でも、昔の辛かった出来事や自身の罪に苦しんだこと、理不尽な出来事、生きづらくて行き詰っていたことを思うと、イエス様に対する感謝しかありません。むしろ、今の救いのために神様はそういったことを僕に赦して通してくださったんだと思います。
もちろん、当時は死ぬほど苦しかったのですが、もし、将来イエス様の十字架にあずかれることを知っているとするなら、僕は喜んで子供の頃に苦しい生き方をすることを望むと思います。なぜなら、喉元過ぎれば熱さを忘れるごとく、イエス様の救いは心からすべてを良しとすることができるからです。
神様が抱いておられる最良の計画
これはあくまでも僕の思いなので、子供に強制はしません。しかし、「この世界がいいところだ」とか「楽しいところ」とか「自己実現するために人生がある」などとは思ってほしいとは思いません。むしろ、僕と同じように早い段階で苦労して、若い時の苦労は買ってでもして、救いは本当にイエス様の十字架にあるということを体験しとほしいと強く願っています。
もちろん、これは親の勝手な思いなので、神様が抱いておられる最良の計画が行われるように祈りたいです。