1242_天の父と自身が父を重ね合わせることはヒューマニズム的か?

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子供と1日中一緒にいれる

お盆休みは家族で遠くに旅行などはできていないのですが、数日間にかけて子供と1日中一緒にいれることが喜びで仕方がありません。普段見れない子どもの成長を見れたり、僕と2人っきりで出かけたりすることができるのは本当に楽しいです。

冷めたことを言うと、子供がまだ小さいからそう思っているだけなのかもしれません。しかし実際子供はずっと見ているだけでもあきません。一つ一つの動き、発想、言葉などがユニークで面白いです。

僕の天のお父さん

子供は見ているだけでも幸せを感じることができます。見ているだけで脳内の神経物質がバフバフ発生しているのがよくわかります。それがドーパミンなのか、セロトニンなのか、テストステロンなのかわかりませんが、とりあえず、一緒にいるだけで幸せを感じられます。

そして、ある人はこういった例えはヒューマニズムだと拒絶反応を示されるかもしれませんが、僕の天のお父さんもこのように僕を見てくれているんだと思うともっとほっこりした気分になるのです。

僕の場合

僕はなんとかぎりぎり滑り込みでうまく嫁さんをだまして?結婚することができました。もし結婚できていなかったら、きっとお盆休みはゲームをしたり、動画コンテンツを1日中見てクリスチャンなのにクリスチャンらしからぬ、満たされることなく生きていたのだと思います。

それは僕が元来、無気力、無活力、無頼的だったからです。きっと人生にもクリスチャン生活にも何の緊張感もなく、二心の心で、自分のやりたいことと教会生活をうまくして弛緩した状態で生きていたと思うのです。

一回自分自身に挫折できた

僕がよかったと思うことは、僕の場合は家族をもつことで一回自分自身に挫折できたということです。家族がいるにもかかわらず自己中心的に振る舞う自分が憎くてたまりませんでした。

その挫折と悔い改めは僕を神様との正しい位置にもとしました。そして、僕と神様との関係が正しい位置に戻った時、夫婦関係や子供との関係すべてが感謝だと思えるようになったのです。

ですから、神様さえがいれば幸せを感じることができるということです。

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