1602_子育てのチャンスは1回しかない

本番一発勝負

子育てをしていて思うことがあります。それは子育ては1回限りしかチャンスがないということです。もちろん、年の離れたこどもがいる場合は、上の子の子育ての結果がある程度見えているので、試行錯誤の結果を下の子に反映させることができるかもしれません。

しかし、こどもは十人十色です。上の子の子育ての方法にマッチする可能性は低く、やはり本番一発勝負の性質のほうが色濃いと思います。

個人的に主に出会う

子育てをする上でいちばん気をかけているのは信仰に関してです。むしろ、こどもの信仰さえうまくいけば、そのほかはどうでもいいとさえ思っています。僕は「信仰継承」という言葉は嫌いなので使っていません。なぜなら、信仰は財産を受け継ぐように継承できるものではないからです。

僕が毎日、切に祈っているのは、こどもが個人的に主に出会って主の救いを受け入れることです。ザアカイがイエス様に出会って変えられたように、流血の女がイエス様に出会って癒されたように個人的に主に出会うことが一番重要です。

環境を用意してあげる

そう思うのは、それが自身の経験にも一致しているからです。両親が信じているということは自身の信仰に何の関係もありません。ただ、恵まれた備えられた環境で、主体的に自主的に能動的に主を求め始める時に人は個人的に救われる体験をするものと考えています。

親にできることの一つは、その環境を用意してあげることです。それは主を求めるとはどういうことなのか?そして主を求める環境はどうあるべきなのか?を親が身をもって日常で示していくしかないと思っています。

霊的側面で主の恵みを体験

こどもの信仰に関しては教会はあくまでも補助的なもので家庭でされるべきだと思っています。なぜなら、教会は7日あるうちの1日だけだからです。だから、家で毎日賛美をする。車の中では必ず賛美を流して賛美しながら移動する。家で必ず祈る。そして、日常において一人で主の前に出ることを身をもって示す。こういったことが大切だと思っています。

特に大切なのは主が共におられるというのはこういう感覚なんだと霊的側面で主の恵みを体験することだと思っています。だからこそ日常における賛美が大切だと思っています。なぜなら、主は賛美の中にご臨在くださるお方だからです。

切に祈る

しかし、冒頭にも書いたとおり、子育てのチャンスは1回限りしかありません。だからこそ、切に祈るしかありません。それは、こどもができる限り早い段階で主と個人的にお出会いして主を救い主として受け入れて主と共に生きる決断をすることです。

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