鉄道まつり
先日、こどもを連れて「鉄道まつり」的なイベントに参加してきました。こども向けの壮大なプラレールの展示やジオラマ操作体験などもあるのですが、ターゲットは大人です。全国の主要な鉄道会社だけではなく、地方のマイナーな鉄道会社も出店していて、様々なレアなグッズが買えるというので大人の来場者が多かったように思います。
僕は全く鉄道に興味がないので、主に観察側に回りました。物販のおおよその傾向としては、地方鉄道会社含めどこも擬人化やオリジナルキャラクターを前面に押し出してグッズ展開している感じでした。
あんたの本も同じやん
と言ってもグッズ化も限られています。おおよそ、クリアファイル、ボールペン、アクリル製の飾り物的なものが多かったです。ボールペンはまだしも、クリアファイルやアクリルの置物を買って一体どうするんだろうと思いました。
僕は帰宅してから嫁さんに「鉄道まつりで売っていた商品は無駄なものばっかりやった。あんなん買ってどうするんやろう。」と言いました。すると、嫁さんが間髪入れず「あんたの本も同じやん。なんで一冊読み終わる前にほかの本をどんどん買うのよ。」と言われました。
理解できない存在である
腹の中では、「本は知識や他人の経験が書かれていて、それが人生に役に立つが、クリアファイルは何の役にも立たない」と思いました。しかし、嫁さんの言った指摘も最もだと思いました。ある人にとっては当たり前のことでも他の人にとっては当たり前ではないということは思っている以上に多いです。
とはいっても、人は主観で生きています。よっぽど意識して訓練や経験から習得された高度な想像力を駆使しなければ真に他人の立場に立つことはできません。僕は「理解できない」というのは当たり前という前提に立ち、自分も他人にとっては「理解できない存在である」ということを知らないといけないと思いました。
前提と期待値
なぜなら、コミュニケーションとは前提と期待値で決まるからです。「自分は理解されている」という前提で話をするのと、「自分は理解されていない」と思って話をするのとではコミュニケーションの精度やその結果も大きく変わってくると思ったからです。
逆に、自分が他人にもつ決めつけもよくありません。誰でも色眼鏡、バイアスがかかることはよくないこととわかっているものですが、それを実践するのは容易なことではありません。僕は今回の鉄道まつりに参加することで大いに反省が促されたのでした。