ラジコンを操作する感覚
昨日は人とは実際に会って顔を見ることでポジティブな感情が生まれるということを書きました。この原則に関して他の角度からも見たいと思います。以前、見たドキュメンタリーでウクライナ兵がロシア兵と対峙するシーンがありました。そのウクライナ兵は塹壕で相手と対峙して目が合った時にライフルのトリガーを引けなかったと言っていました。
現代の戦争はドローンを使った戦略がメインです。ラジコンを操作する感覚だけで人を殺すことが当たり前になっています。大型の自爆型ドローンは昔からありましたが、これは建造物に激突させるので人は見えません。しかし、ロシアのウクライナ侵攻で新たな戦略となったのは、モニターを通してか空から人を眺めて、そこに手りゅう弾を落とすという戦法です。
顔が見えないことにより
この場合、目の下には確かに生きている人間が見えています。平和な世界に生きていれば、手りゅう弾を落とすことに誰でも躊躇するはずです。しかし、戦時下であり、殺さないと自分たちが殺されるという究極の選択を迫られた結果、手りゅう弾を落とすのです。これは、やはり顔が見えていないことの結果だと思うのです。
顔が見えていてもそのような選択はするというのが戦時下の判断かもしれませんが、実際に顔が見えないことにより人を殺すハードルが下がっていることは間違いないと思います。
人を殺す意思決定をする場所
第二次世界大戦では、人の顔が見えていないから、あるいは、これ以上多くの人が死なないためにという大義名分を得て、爆撃機から爆弾を落とすことをしました。それでも爆撃機を運転している人は上空まで来ているのです。
しかし、現代ではますます人を殺す意思決定をする場所と人が殺される場所が離れていっています。これは戦争や人を当たり前に殺すというハードルがますます下がっていることの表れだと思っています。
ディストピアの世界
もしかしたらこんな日が来るかもしれません。それはディストピアの世界です。戦時下にいる国民は朝起きて国が指定したアプリを起動してログインボーナスをもらいます。そして、画面に映ったドローンを操作して誰かを殺してから出勤したり、家事を始めるというものです。
とても恐ろしいことで、そんな世界がくることを望みませんが、それと似たようなことが既に世界で起こっているという危機感をもつべきだと思いました。